10月18日「自己反省」

 ここでは、自己反省を事前に慎重な塾慮なく軽率に扱われている。霊的に熟練した人々は、わたしたちの信仰において、自己反省というものに一貫して反対している。成長は静寂の内に、隠れた仕方で、沈黙と孤独の中で起こる。そのプロセスは観察可能なものではない。霊的な体温をいつも計り続けると健康を損なう。自分が成長しているかどうかを自己反省する時、実際のところ、わたしたちは何をしているのだろうか。 ―― その時はいつも、わたしたちは「自分の感情がどうであるか」を確かめているに過ぎない。そして、その感情は、特に信仰の問題において、札付きの嘘つきなのである。

 自らの霊的成長に強く関心を向けると、どうしても、内にこもりノイローゼになってしまう。だから、そうではない形で霊的成長を確認する仕方をとるべきなのだ。それは礼拝する共同体に参画することである。健やかな霊的成長は他者の存在。 ―― つまり、兄弟姉妹や牧師や教師など。 ―― を必要とする。個人の中に閉じこもる孤高の生活の中では、霊的な成長は望めない。キリストの名の下に二人または三人が共に集うこと。そうして初めて、わたしたちは互いに健やかに保てるものなのだ。
 

父なる神の御前に合格するような真の宗教とは何か。それは、窮地にあるホームレスや
愛されない人に手を差し伸べ、
不道徳なこの世の汚染から身を守ることだ。
 ―― ヤコブの手紙1章27節

*引用される「聖書の言葉」はピーターソンさんの翻訳・翻案を訳したものです。

63db463dfd12d154ca717564出典:ユージン・H.ピーターソン『聖書に生きる366日 一日一章』(ヨベル)
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