石田学氏がコロナ禍での対応を省察 教会の共同体性を強調 「オンライン礼拝は補完的」

日本ナザレン教団(土肥努理事長)関東地区は2月5日、オンラインによる牧師研修会を開催し、石田学氏(日本ナザレン教団教師)が「ポスト・コロナと教会――三位一体論から教会の在り方を再考する」と題して講演した。

コロナ禍が教会にもたらした変化の一つである礼拝のオンライン配信について石田氏は、「礼拝に来られない人たちへの対応の可能性」「物理的・時間的な距離という障壁の軽減化」「牧師の自己研鑽、礼拝改革のための材料となる可能性」などを「良かった点」として挙げた一方、「礼拝=説教という傾向の増幅」「対面礼拝に戻らない人々の存在」「教会の共同体性の希薄化」などの課題も残したと指摘。

特に、70~80年代以降、礼拝学の発展により神学的、実践的に検討された「礼拝の刷新と典礼的な改革の努力が無に帰され、礼拝が説教会であるかのような傾向に逆戻りしてしまった」とし、教会は個人主義の増幅にどう対応できるかとの問いを立て、コロナ後の教会のあり方を根本から見直す必要性を説き、「礼拝は対面であることが原則で、オンライン配信はあくまでやむを得ない補完的なものであることを再確認すべき」と述べた。

その上で、教会の共同体性を再構築するために、教会の共同体性を三位一体論に依拠して論じた。

翌週の12日には日本ナザレン教団浦和教会(さいたま市南区)で、同じ石田氏を招いた関東地区CEC(教会教育委員会)研修会が行われた。「コロナ禍後の教会――教会とは何かを改めて考える」と題して講演した石田氏は、疫病と対峙した教会の歴史を概観した上で、「教会とは何かということを改めて考える機会にしなければ」と呼び掛けた。

コロナ禍における牧会上の課題について、「面会できないという事態を既成事実として受け入れ、教会が自ら霊的な配慮を衛生対策や医療よりも下位に位置づけてしまった。信仰が本質として持つ共同体性をないがしろにしてしまったのではないか」と問いかけた。また自らの体験をふまえ、医療従事者が用いた防護服など、厳重な感染予防をした上で、身体的・霊的な危機に直面し、牧会を必要とする人に会わせてほしいと交渉することもできたはずとの反省を語った。

パンデミックはこれからも起こり得るとの前提に立ち、今後も対面での集会を維持する努力と、緊急時にも共同体性を回復できる備えの必要性を説いた石田氏。最後に、「オンライン礼拝の視聴者数は数字にすぎず、ニュースで耳にする被災者、戦争の犠牲者と同じで顔も人格もない。礼拝に集うということは数字化と対局にある」と改めて強調した。

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