老いの目標 渡辺正男 【夕暮れに、なお光あり】

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引退の日の、風呂に身を沈めた時の解放感は今も忘れられません。その時から、いつの間にか、12年の年月が経ちました。

ウオーキングを日課にしています。万歩計をポケットに入れて、季節の変化を楽しみながら歩きます。70代の時は8000歩でした。80代の最近は、半減して4000歩ほどになっています。気力体力を少しずつお返しするのですね。コロナ禍もあって、いくつかの小さな働きの区切りがついて、社会とのつながりも細ってきています。

特に心重いのは、親しい方が亡くなることです。友人の訃報が続いて、心細い思いになっています。これから、どう歳を重ねるのでしょう。

数年前に話題となった『わたしはよろこんで歳をとりたい』(こぐま社)という小さな本を、改めて読みました。友人が贈ってくれた本です。90代のドイツのイェルク・ツィンク牧師が、老年をどう生きるか、信仰の知恵・人生の知恵を豊かに語っています。

ツィンク牧師は、主なる神の計らいに身を委ねて、人生を味わい、「よろこんで歳をとりたい」と言います。とても魅力的です。しかし、こんな言葉もあります。

「ある中年の司教が……こんなことをいったものだ。『クリスチャンは 一生奉仕をしなければ』などと。たわけたことだ」

「つい先ごろ山のカエデの老木に出会った わたしもその木のように ただそこにいて 生きているだけでよいのだ」

確かに慰めの言葉であります。しかし納得するのに、私にはもう少し時間が必要なようです。「引退」はしているけれど「隠退」はしていないという思いが、今も尾を引いているのです。だからこそ、ツィンク牧師の「よろこんで歳をとる」という生き方は、私にとっては挑戦的な言葉でもあります。

体調の不安が増してくる、親しい者を天に送る、暮らしに張りがなくなる――これらの現実を受け止めながら、なおよろこんで歳をとる! その勘所は何なのでしょう。

「歳をとると、感謝の言葉こそが決め手になる」と彼は言います。感謝する、主の恵みを数えて深く味わう――この心がけが、これからの「老いの目標」なのでしょうか。

「私の魂よ、主をたたえよ。/そのすべての計らいを忘れるな」(詩編103:2)

わたなべ・まさお 1937年甲府市生まれ。国際基督教大学中退。農村伝道神学校、南インド合同神学大学卒業。プリンストン神学校修了。農村伝道神学校教師、日本基督教団玉川教会函館教会、国分寺教会、青森戸山教会、南房教会の牧師を経て、2009年引退。以来、ハンセン病療養所多磨全生園の秋津教会と引退牧師夫妻のホーム「にじのいえ信愛荘」の礼拝説教を定期的に担当している。著書に『新たな旅立ちに向かう』『祈り――こころを高くあげよう』(いずれも日本キリスト教団出版局)、『老いて聖書に聴く』(キリスト新聞社)、『旅装を整える――渡辺正男説教集』(私家版)ほか。

 






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