世界中の〝サバイバー〟と支援の輪 マテアス・カツシュさん単独インタビュー 司祭から性的虐待の過去

力ある者が力のない者を虐げる構図
〝隠された現実を可視化する勇気を〟

 30年以上にわたり、幼いころに受けた性虐待を打ち明けられずにいた。ベルリン市内のカトリック中高一貫校カニシウス・コレグで、2人のイエズス会司祭から被害にあったのは1970年代。複数の同窓生も同じ経験を打ち明けたのを機に、顔と実名を公表して声を上げ始めた。子ども虐待被害者の会「Eckiger Tisch(角卓=円卓の対義語を意味する)」を立ち上げ、支援と補償を訴え続け、今年2月に来日したマテアス・カツシュさんに話を聞いた。(本紙・松谷信司)

――今回、来日した目的は?

性的虐待を受けた「サバイバー」の人々を支援するためです。ここ10~15年、欧米でサバイバーによる大きなムーブメントが起きており、日本でもそうした動きが見られないかと期待しています。子どもを守ることはもちろん、大人の被害者も支援する働きができるようにと願っています。

――ご自身の被害を打ち明けた経緯について教えてください。

カトリックの学校に在籍していた13歳の時、2人の神父から性的虐待を受けてから、誰にも言えず、沈黙を貫いてきました。34年間、ずっと曇りガラスの向こうで生きているような感覚でした。しかし、クラスメイトたちと話した折、私と同じような経験をしていた仲間がいることに気づき、それがどれほど重大な問題かに気づくことができました。最初は仲間内でしか話していませんでしたが、この苦しみを同様の経験をしたサバイバーたちと分かち合いたいと思い、公の場で活動を始めました。

――2010年に被害を公表した当初、教会の受け止め方はどのようなものでしたか?

運動を始めた年、1万人ものカトリック信者が参加する教会のイベントに招かれたことがあります。その時、私の話に耳を傾けたのはごくわずかでした。私のような一信徒が声を上げても、なかなか取り上げてもらえないというのはよくあることです。「なぜ教会の働きを妨げるようなことを主張するのだ」と非難されることもありました。

――声を始めたころと現在とでは何か変化がありましたか?

当時は、性的虐待といった話題を語ることすらタブーでした。たとえ話せたとしても、どこか遠い国の話だと思われていました。しかし、自分の体験を公にして以降、それは西欧だけでなく、世界中で起きていることだと分かってきました。私が一歩踏み出して公にしたことが、私で完結するのではなく、次から次へと連鎖的に広がっていきました。

今では、サバイバーたちも自分の身に起きたことを忘れるのではなく、それに向き合い、オープンに語り合い、克服していくことができるようになってきています。最近はメディアによる報道も変わってきました。これまでは被害者の辛さや、悲惨さに焦点が当たってきましたが、使われる単語も「犠牲者」という受け身の用語から、犠牲者が大人になり、声を上げて生き延びている「サバイバー」として報道されるようになってきています。

性的虐待の一番の問題は「パワーギャップ」です。力ある者が力のない者を虐げる。それは宗教的権威を持つ神父と、力なき者(子どもや一信徒)という構図です。そして「パワーギャップ」は、教会以外にも家庭や学校など、さまざまな状況で起こりうる問題ですから、誰もが知らなければならない、考えなければならないと思っています。

――普遍的な課題でありつつ、聖書や教義の濫用によって被害者が泣き寝入りを強いられ、正しく被害を認識することすらできないという教会固有の問題もあるのでは?

確かに、聖書の言葉を用いて加害行為を正当化しようとする人は少なくありません。しかし、そのように聖書を利用することは、本来イエスが望まれたこととは真逆です。

カトリック教会で特に問題になるのは、二次加害です。性的虐待という事実だけではなく、加害者を擁護し、その行為を隠そうする罪です。教会の関係者は、スキャンダルが起きたことで自分の教会、自分の名誉が地に落ちることを恐れ、被害者ではなく身内である加害者の側についてしまいます。時に教会は世界中のネットワークを駆使し、過ちを犯した神父を違う場所に派遣することができてしまうのです。彼らが新たに赴任した先で何をしているのか、誰も監視することができません。

なぜこのような問題が起こるのかといえば、カトリック教会の規模が大きすぎて、虐待者を罰し、コントロールする機関がないからです。誰が最終的な責任と判断をするかがあいまいになってしまいます。

――性的虐待の問題に取り組む上で重要なことは何ですが?

私は、以下のような三つの要素だと思います。

① Visibility(可視化すること) どれだけ教会の体制、現実が可視化されているのか。
② Accountability(説明責任) 性的虐待の加害者をのみを罰し、切り捨てるだけではなく、それを許した制度、体制を変える責任、必要性。
③ Transparency(透明化) 何が起きたのか、起きているのかを明るみに出すこと、タブーにするのではなく、現実として認識すること。

私たちは何より虐待を受けた子どもを守ることが第一であり、そのためには暗闇にあるものをそのまま暗闇に放置しておくことはできないのです。私は多くのサバイバーと話す中で、加害者への復讐を一番に望んでいる人に出会ったことがありません。多くの被害者はまず、被害があったことを理解し、認識してほしいと願っています。補償や償いは二の次と考えている人が多いのです。

――信頼する神父から性的虐待を受けながら、今も信仰は保ち続けているのですか?

私は数年前、ドイツで教会税を払うことをやめ、会員であることをやめました。しかし、それでも私の中に何か求めるもの、霊的な感性があることを認めざるをえません。それは組織化されたカトリックのようなものではなく、パウロが言うような「幼子だったとき、私は幼子のように話し、幼子のように思い、幼子のように考えていました。大人になったとき、幼子のような在り方はやめました」(第一コリント13:11)という信仰です。

――最後に日本の読者にメッセージをお願いします。

私は「真理はあなたがたを自由にする」(ヨハネ8:32)という聖句から、立ち上がる勇気をもらいました。真実と向き合うことを恐れないでください。子どもを守り、性的虐待を経験したサバイバーをリスペクトし、彼らの存在を認めてください。

さまざまな事情から、すべてのサバイバーが公に姿を表し、声を上げる必要はないと思います。しかし、今は何もできないようなサバイバーが、同じ痛みをもった人々の行動、言葉によって励ましを受けることがあります。暗闇に隠れている現実を可視化すること、そのためにサバイバーが一致し、大きな運動にしていくことが大切です。私たちが共に活動することで、教会が抱える闇の部分から自由になれると信じています。

――ありがとうございました。

Matthias Katsch 1963年ベルリン生まれ。カニシウス・コレグ校在学中に、2人のイエズス会司祭により虐待を受ける。2010年、カトリック教会における子どもへの性的虐待事件の告発に参加。以来、被害者の代弁者として活動を続ける。サバイバー主導の「角卓」のスポークス・パーソンとして、また国際的組織である「聖職者による虐待の終結(ECA)」の創設理事の1人として、政府及び国会に助言している。現在、子どもへの性的虐待(CSA)に関するドイツ調査会のメンバーを務める。2021年、ドイツ連邦共和国大統領から、功労十字章を受賞。

*カツシュさんは2月14日の本紙インタビューに先立ち、13日にはECPAT/ストップ子ども買春の会、日本キリスト教婦人矯風会共催の緊急集会で講演した。

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