何をやっても怒られるなら、もはや気にしない【聖書からよもやま話338】

主の御名をあがめます。

皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は 新約聖書、ルカの福音書の7章です。よろしくどうぞ。

ルカの福音書 7章33〜34節

バプテスマのヨハネが来て、パンも食べず、ぶどう酒も飲まずにいると、あなたがたは『あれは悪霊につかれている』と言い、
人の子が来て食べたり飲んだりしていると、『見ろ、大食いの大酒飲み、取税人や罪人の仲間だ』と言います。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

人というのは気に食わない人がいれば、その人が何をやっても気に食わないものです。何かをすれば「なんでこんなことをするんだ」と怒り、かと言ってそれをしなければ「どうしてこれをしないんだ」と怒ります。テレビのニュースで政治家さんへの批判なんかを聞いていますと、まったくこの通りだななんて思わされることがあります。与野党問わず、自分の支持しない政党の人が何かをやっても、何かをしなくても、どっちにしても怒るわけです。

これは教会の牧師さん達にも言えることかと思います。たとえば何かのイベントをやろうと言えば「そんなイベントはいらない!」と怒られ、かと言って何もしないでいると「この牧師は何もしない!」と怒られたりします。会社の上司と部下の関係でも似たようなことを聞きます。何かを報告すれば「そんなこと報告するな!」と怒られ、報告しなければ「どうして報告しない!」と怒られ・・・

そんな「どっちにしても怒られる」「何をやっても怒られる」という状況に陥ったことのない人の方が、皆さんの中にも少ないのではないでしょうか。僕にもそんな経験は多々あります。聖書をゆるく語れば「ゆるすぎる!」と怒られ、それならとちょっと真面目に語れば「かたくるしい!」と怒られます。
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イエスさまもまた、そうだったんですね。そう思うと少し安心します。イエスさまでもそうだったのなら、僕がそうであっても当たり前だし仕方がないと思えます。そして、そんな理不尽な世を憎む心が少し薄まります。だって、人間って今も昔もそんなものなんですから。どうやったって怒られるなら、「怒られないように」なんて考えるのはやめて、正面から怒られよう、と思えるんです。

ビジネスの世界ではよく「2:6:2」の法則なんてことが言われます。2割の人はどんなことをやったとしても、あなたのことを好きでいてくれます。6割の人はあなたが何をやるかで態度が変わります。そして最後の2割の人はあなたが何をやったとしてもあなたのことが嫌いです。

何をしても、何をしなくても、どうしてもあなたのことを批判する人は必ず一定数いるんです。そして、そういう人に対して時間や労力を割くこと、ましてそのために自分の方針を曲げることはしなくていいんです。だって何をしたってその人たちは変わらずに、あなたを批判し続けるんですから。

「嫌われる勇気」なんてよく言われますけれど、勇気を持とうが持つまいが、2割の人は怒るんです。その勇気を持てば「開き直りやがって!」と。持たなければ「こびへつらいやがって!」と。そういう声を気にしすぎていたら、何もできません。「嫌われるのは自分が生きている証拠!」と思って、粛々と進んでいくしかないんです。

 

それではまた。

主にありて。
MAROでした。

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