「覚えてろよ!お前らなんか僕の○○がやっつけちゃうんだからな!」【聖書からよもやま話227】

主の御名をあがめます。

皆様いかがお過ごしでしょうか。MAROです。
今日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

毎回、新旧約聖書全1189章からランダムに選ばれた章を読んで、僕の心に浮かんだ事柄を、ざっくばらんに話してみようという【聖書からよもやま話】、今日は旧約聖書サムエル記第一の25章です。それではよろしくどうぞ。

◆サムエル記第一 25章39節

主がほめたたえられますように。主は、私がナバルの手から受けた恥辱に対する私の訴えを取り上げ、このしもべが悪を行うのを引き止めてくださった。主はナバルの悪の報いをその頭上に返された。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

ナバルというのはとてもケチな人だったようで、ダビデの兵に自分の牧場を護衛してもらいながら、後からダビデにその対価として兵たちに食べ物やら何やらを与えるように言われても「ダビデ?え?誰それ、俺しらなーい」と無視しました。

これにダビデは激怒して「ゆるさん!」と、兵をあげてナバルを殺そうとしました。が、そこにナバルの妻アビガイルがたくさんの物資をもって現れて「この通り、贈り物を持ってきましたからどうかゆるしてください。夫ナバルは悪い人間ですけど、あなたが自分の手を汚して復讐しないでください」と謝りました。ダビデはこれで機嫌をなおして兵を下げました。

しかしこの10日ほど後にナバルは死んでしまいました。死因は明確には書いてありませんが「気を失って石のようになった」「主はナバルを打たれ」とは書いてあるので、神様の力によって脳卒中か何か意識を失ってしまうような病気にかかったのだと思います。とにかく「神様の力によって」です。

それでダビデは神様をたたえました。「神様は僕が自分で手を汚すことを引き止めてくださったし、ご自身の手でナバルに復讐してくださった。」と喜びました。
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人間ってついつい誰かに悪いことをされると、自分の手で復讐したくなります。殴られたら自分で殴り返したくなります。でもそれはしなくて良いことです。悪いことへの報いはちゃんと神様がやってくれますから。復讐のために自分の手を汚すことは良くないことです。「右の頬を叩かれたら左の頬を出しなさい」というのがとても有名になって、一般社会では「クリスチャンはやられてもやりかえさない」というイメージがついているようですが、クリスチャンは神様がやり返してくれることを信じている故に「自分では」やり返さないだけです。むしろ自分でやり返す人よりも怖いかもしれません。

マンガなんかでよく「覚えてろよ!お前らなんか僕の兄ちゃんが簡単にやっつけちゃうんだからな!兄ちゃんは番長なんだからな!」みたいなセリフがありますが、クリスチャンも似たようなものです。「兄ちゃん」が「神様」に変わっているだけです。その点、クリスチャンというのは一般的なイメージよりはいくらかしたたかなのかもしれません。

ちなみに現在の法律でも、悪いことをされて自分で復讐したら処罰されます。悪いことをされた復讐は法に任せるということになっています。「お前らなんか法がやっつけちゃうんだからな!」ということです。

もちろん、「兄ちゃん」の立場としては「君は僕が守るから安心して。君にひどいことをする奴は僕がゆるさない」ということです。神様はそういう姿勢で僕たちのことを愛してくださっているんです。

それではまた明日。

主にありて。
MAROでした。

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