神様からみればどんな金持ちも「駄菓子屋の小学生」【聖書からよもやま話229】

主の御名をあがめます。

皆様いかがお過ごしでしょうか。MAROです。
今日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

毎回、新旧約聖書全1189章からランダムに選ばれた章を読んで、僕の心に浮かんだ事柄を、ざっくばらんに話してみようという【聖書からよもやま話】、今日は旧約聖書 歴代誌第二の14章です。それではよろしくどうぞ。

◆歴代誌第二 14章11節

主よ、力の強い者を助けるのも、力のない者を助けるのも、あなたには変わりはありません。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

アサという王様が敵から攻められた時に祈りました。自軍の兵士は58万、敵軍は100万でした。戦争というのは一般的に攻めるよりも守る方が有利とされますが、とはいえそれでも不利です。ピンチです。しかしアサ王は神様の力を信じていました。

その祈りの中でアサ王は「あなたにとっては有利な方を助けるのも不利な方を助けるのも同じことでしょう。」と言いました。これはアサ王がどれほど神様の力の大きさを確信していたかを示しているように思います。

だって普通に考えたら有利な方を助ける方が不利な方を助けるよりも簡単です。不利になればなるほど、その側を助けるのは難しくなります。しかしアサ王は「神様にとってはどっちも同じ」と言いました。どういうことでしょう。

たとえばバケツに水を溜めるのと、50mプールに水を溜めるのを比べたら、バケツに水を溜める方が簡単です。バケツに水を溜めるのは普通の水道だって1分もあればできますが、50mプールに水を溜めるのにはそれなりの時間がかかります。人間の手で溜めるならそうです。しかしもしそこに、海の水がドバーッと流れ込んできたらどうでしょう。バケツもプールもほぼ同時に水が溜まって、それどころか溢れ出すことでしょう。水道の蛇口でみればバケツとプールは大きな違いがありますが、海の水からみればバケツとプールの差なんてほんの小さな誤差みたいなものです。同じように神様からみれば人間の力の強いか弱いかなんて、ほんの小さな誤差みたいなものなんです。
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100円を持っている子と200円を持っている子が駄菓子屋に行ったら、この二人の財力の差はあきらかです。駄菓子屋の小学生にとって100円と200円というのは「庶民」と「大金持ち」くらい違います。でも10000円持っている大人からみればその差はほとんどないのと同じです。100円しか持っていない子に100円をあげるのも簡単なことです。まして100万円持っていたり、1億円持っていたりするならなおさらです。

神様はそんな圧倒的な力を持っているんです。そしてアサ王はその圧倒的具合を確信していたからこそ「私たちは不利なんですけどどうか助けてください」なんて言わずに、「あなたからしたら誤差みたいなものなんですから助けてください」と祈ったんです。

僕たちはつい人間同士の財力や立場や力量の差を見て「わぁ、無理だ」とか思ってしまいます。「神様に祈ってもこれは厳しいんじゃないか」なんてことも思ってしまいます。でも神様からすれば僕たちと相手の差なんて駄菓子屋の子どもが100円持ってるか200円持ってるか程度の差でしかありません。40万の兵力差なんて人間からしたら圧倒的な差ですけれど、神様からすればそんなもんです。僕たちとビル・ゲイツさんの財力差だってそんなもんです。

もちろん、この祈りの後、アサ王が神様の助けを得て敵を撃退したことは言うまでもありません。

それではまた明日。

主にありて。
MAROでした。

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