映画の主人公って大変です。【聖書からよもやま話114】

主の御名をあがめます。

皆様いかがお過ごしでしょうか。MAROです。
今日もクリプレにおこしいただきありがとうございます。

毎回、新旧約聖書全1189章からランダムに選ばれた章を読んで、僕の心に浮かんだ事柄を、ざっくばらんに話してみようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧約聖書、  ゼカリヤ書の13章です。それではよろしくどうぞ。


◆ゼカリヤ書 13章9節

わたしはその三分の一を火の中に入れ、銀を練るように彼らを練り、金を試すように彼らを試す。彼らはわたしの名を呼び、わたしは彼らに答える。わたしは『これはわたしの民』と言い、彼らは『主は私の神』と言う。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

洗礼を受けてクリスチャンになったら、あらゆる苦しみから解放されて人生は一気に好転、バラ色に!

・・・なんてことは決してありません。もし、そんな文句であなたを教会に誘う人がいるなら、その人は「怪しい人」ですからついて行ってはいけません。むしろ聖書には、神様は自分が選んだ人々、すなわち現代で言えばクリスチャンをこそ、たくさんの試練にあわせると書いてあります。このゼカリヤ書に書いてある、銀を練るとは燃え盛る火の中に入れるということですし、金を試すというのは叩いて叩いて鍛えるということです。

洗礼を受けてクリスチャンになった途端に、人生の試練の時期が訪れて苦境に立った、なんて人も実際に少なくありません。「だったらクリスチャンになんてならない方がいいじゃないか。何のメリットもない!」と、思う方もいるかもしれませんが、しかし、クリスチャンになることの意味は、「人生がバラ色になる」ということではなく、「人生は苦しくとも、最終的なハッピーエンドが約束される」ということです。ここに記されている、神様が「これはわたしの民」と僕たちを呼んでくださること、これがハッピーエンドということです。

クリスチャンになるというのは、たとえるなら一つの映画が始まるようなものです。最初のシーンからいきなりハッピーエンド、なんて映画はありません。そんな映画は誰も観ないでしょうし、そもそも映画が始まりません。映画は始まってから主人公にさまざまな出来事や試練が訪れ、そして結末を迎えます。クリスチャンになるということは、ハッピーエンドが約束された映画が始まるということです。ハッピーエンドは約束されていても、むしろハッピーエンドが約束されているからこそ、そのストーリーの中にはたくさんの苦難や危機が盛り込まれるわけです。その苦難や危機がハッピーエンドをさらにハッピーエンドたらしめるんです。

クリスチャンになるというのは、神様が監督の映画に主人公として抜擢されるようなことなんです。そう思うと、ちょっとワクワクしてきますよね。試練を苦難や危機とばかり思わず「神様のくれたストーリー」と思えば、目の前の世界の見え方も変わってきます。

それではまた。
主にありて。
MAROでした。

【今日の小ネタ】
食用のザリガニを1kg買っても、食べられる部分は400gくらいしかありません。

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横坂剛比古(MARO)

横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

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