私はかつて中高の教員でした。教員失格で事務員にさせられ、それさえも勤まらず、まもなく辞めさせられます。その学校は典型的に「もっと勉強をして、いい大学へ行って、いい会社に就職して、いい人生を送ろう」という路線を強調していた学校でした。私立学校でしたから、育ちのいいところの子どもが入ってくるということもあるのでしょう。もちろんそれも幸せへの道のひとつです。しかし、あまりにもそれ一本でした。もっと若いうちから習ったほうがよいことは、「困ったときに誰に頼るか」ということです。
たとえば、人生の途中で障害者になったとして、さてどこに頼りますか? 「障害年金」と「障害者手帳」というのは、まったく別物であることを知っている人は少ないようです。福祉の手厚さはかなり地方差があることも知りませんでした。障害者福祉というのは、「土地を動く」という選択肢が考えられていないので「これを機に故郷へ帰る」という選択がしづらいことも知りませんでした。それ以上に、こんなに親身になって考えてくれる人がたくさんいることも知りませんでした。福祉というのは、向こうから来てくれることがなく、こちらから行かねば扉は開かれないことも知りませんでした。
こういうことをあまりにも習わな過ぎると思うのです。むしろ「きみたちは助ける側だ。断じてきみたちが助けてもらう側であってはならない」というメッセージすら感じます。この学校は「社会のリーダーを育てる」とうたっています。しかし、実際には世間の労働者の4割は非正規雇用であり、社会のリーダーどころか、非正規雇用でどうにか食いつなぐ卒業生も少なからずいるはずです。そして、簡単に雇い止めにあい、路頭に迷う人も出るはず。そういうときにどこに頼るかというのは、習っておいたほうがよいことです。あまりにも「たくさん勉強をして、いい大学に行って、いい就職をして、いい人生を送る」という路線ばかりが強調され過ぎだと思われました。
人は誰かに助けてもらわないことには生きていけません。上手に助けてもらわなくてもいいのです。そんなテクニックはいらないので、「助けて」と言ったらいいのです。もちろん断られることもありますし、厳しいことを言われることもありますし、とんだ目にあうこともあります。しかし、それでもあきらめずに人にあつかましくしていると、ついに親切な人に当たって、助けてもらえることがあるのです。思わぬところから道が開かれることがあります。
そうやって生きていけばいいのではないですか。私を辞めさせるその学校は、先述の通り学歴第一主義でしたが、それならば、圧倒的に高い学歴を持っていた私がなぜこんなに転落人生を歩んでいるのかというのを、少し考えたほうがいいですね。その学校には未練はないのですが、ひたすら追い詰められる学生さんがちょっとかわいそうに思います。学校教育はもっと「困ったときにどこに頼るか」を積極的に教えるべきだと思います。