死は勝利にのみ込まれた。死よ、お前の勝利はどこにあるのか。死よ、お前のとげはどこにあるのか。(コリントの信徒への手紙I 15章54〜55節)
死は不条理という棘(とげ)をもって私たちを刺し貫く。日ごろ高をくくっている人も、死を前にすれば恐れを抱き、愛する者の死には理不尽を覚える。死んだらどうなるのか。人間には答えられない謎である。この謎に答えるのは神だけである。神はキリストの証言である聖書を通して答えている。「死のとげは罪」(56節)である。死が不条理であり、人から望みを奪う棘となったのは、神に対する人の罪による。
そうであるのに、憐れみ深い神は罪人を死の棘から救うために御子キリストを世に送られた。そして、主キリストの贖(あがな)いの死と復活によって人間の一切の罪を清算し、信じる者に義を宣告してくださる。キリストに現された神の救いと神の愛を知って、神に立ち返るならば、死の棘は完全に抜き取られるのである。今日の聖句は、キリストによって死の棘から解放された人間の神賛美の叫びである。
主イエス・キリストの救いと神の愛に応えて、神を信じ、主に結ばれて生きる者はすでに「死から命に移っている」(ヨハネ5・24)。肉体の死は「眠り」(51節)であって、消滅ではない。永遠の朝に目覚める時、神の国において「霊の体」によみがえるのである。「わたしの愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです」(58節)。神を信じ、主に仕える者は、労多い人生であっても、失望しないで主の業に励む。本当の明日を確信しているからである。