オリンピックがムスリム社会にもたらす影響 小村明子 【宗教リテラシー向上委員会】

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先だって久しぶりに浅草界隈へ行く用があった。平日の午後であったが、2020年同月の時に比べ人出も多いように思われた。コロナ禍前と異なることは、外国人観光客の姿がほとんどないことである。また、シャッターを下ろしている店や完全に閉店した店舗も多々見受けられた。なかでも何度か利用したハラール・レストランがいまだにシャッターを下ろしたままであったのは、残念な思いがした。別のハラール・レストランにも行ってみた。2020年には営業していたのだが、筆者が行った時には完全に休業してしまっていた。近隣には礼拝室を設置したホテルもあったのだが、そこも看板を完全に外してしまい、街から姿を消していた。

これらの店舗やホテルは、昔からあったわけではなく、オリンピックが東京に決まった後にオープンした。そもそもムスリム観光客を相手にして開業し、当てが外れたのだから、休業あるいは廃業せざるを得ないのは分かるのだが、街中から消えるとなると寂しさを感じる。

浅草界隈は観光で成り立っているため、外国人か日本人かにかかわらず、財布のひもをほどいてくれる客の数によって地域経済が左右されることとなる。筆者が浅草に行ったこの日は、1都3県における東京オリンピックの無観客開催が決まった後でもあり、街全体が落胆の色を落としていたことは察しがつく。こうした浅草の現状を目の当たりにした時、ふと知り合いが営んでいるハラール・レストランのことを思い出した。

東京オリンピックの開催が最終的に決定したとの報道の後、知り合いが営むハラール・レストランの店に久々に行ってみた。もともとムスリム観光客をターゲットにして開業したわけではなく、偶然ハラール食を扱うことになった店舗である。したがって、ムスリム観光客数の減少で店舗の経営が左右されることはないと思っていた。

筆者が店舗に行ったのはランチタイムを過ぎた時間帯であったが、すべてのテーブルが埋まるほどの客入りで、以前とまったく変わらず繁盛しているのではと軽く捉えていた。だが、知り合いのオーナーは、飲食店に対する営業時間の時短要請に従っている影響が大きく、毎日ギリギリでやり繰りしているとため息混じりに教えてくれた。長年の経営のノウハウを持ってしても、今回の災禍には対処し難いのだろう。だが、オーナーは続けることの意味をよく理解している。勤務しているムスリム従業員の生活を考えると、少しでも営業を続けることでレストランのある地域に居住するムスリムたちが食べにくることができ、結果的にムスリムのコミュニティのためにもなるのである。

オーナーは「こういう状況では、なるようにしかならない」と話していたが、やはり東京オリンピックに関連して何か少しでも新たな取り引きがあればと期待を寄せていたようだ。

いよいよ開幕するオリンピック。この災禍の中でもがんばっている人たちに何か良い話がもたらされ、少しでも苦しい現状から脱却できることを祈りたい。

小村明子(立教大学兼任講師)
 こむら・あきこ 東京都生まれ。日本のイスラームおよびムスリムを20年以上にわたり研究。現在は、地域振興と異文化理解についてフィールドワークを行っている。博士(地域研究)。著書に、『日本とイスラームが出会うとき――その歴史と可能性』(現代書館)、『日本のイスラーム』(朝日新聞出版)がある。

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