前回は、細川ガラシャ(芦田愛菜)と忠興(望月歩)が結婚して子どもにも恵まれ、幸せな日々を送っていた4年後、父の明智光秀(長谷川博己)が「本能寺の変」を起こし、ガラシャも「逆臣の娘」として忠興と離縁させられ、幽閉されたところまでを述べた。
その2年後、豊臣秀吉(佐々木蔵之介)の許しが出て復縁し、幽閉が解かれた。味土野の山奥から、天橋立の望める宮津城にガラシャは戻ったのだが、幽閉の間に秀吉は大坂城を築き、そこでガラシャも大坂城下の細川家の屋敷に住まうようになった(下の画像は、屋敷の台所があったと伝えられる場所「越中井」)。
[googlemaps https://www.google.com/maps/embed?pb=!4v1608248209486!6m8!1m7!1sCAoSLEFGMVFpcE9GQzFfTnVtWmhtWmJMX2Rxcm1FZm1NNXF5SXc1MEk2dld2dzFF!2m2!1d34.6797376!2d135.5267268!3f29.610302929270958!4f-12.617768219854355!5f0.7820865974627469&w=600&h=450]そんな中でガラシャは、1587年3月29日のイースターにただ一度きり大坂の教会に訪れて日本人修道士から福音を聞き、キリシタンとして生きることを決心する。その信仰の歩みは、当時の宣教師、とりわけ戦国時代の日本宣教を本国に報告していたルイス・フロイスの手になる『日本史』(全12巻、中央公論社)に克明につづられている。
ガラシャが洗礼を受けた経緯については、5巻の62章(219~241ページ)に描かれているが、このあたりのことは「NHK大河ドラマ「麒麟がくる」とキリスト教(2)明智光秀の娘、細川ガラシャの信仰」に手短にまとめたので、まだお読みでない方は一読されたい。ここでは、ガラシャと忠興の夫婦関係にフォーカスする。まず、ガラシャが大坂屋敷に移り住むところから、フロイスの報告を見ていこう。
関白殿(秀吉)が、諸国の君主や領主を人質のように手もとに留め置こうとして、(彼らに)妻子(ら)家族を伴って大坂の政庁に居住せよと命じたことが伝えられるに及び、彼女(ガラシャ)の夫越中殿(忠興)も、身分相応の立派な邸宅を大坂に構え、諸室の設備を整えた後、その地に妻を伴った。(5巻、221ページ)
しかし、ガラシャは今度、その細川屋敷に軟禁されることになるのだ。その忠興のやり方は尋常ではなく厳しかったという。
当初(彼らは)似合いの夫妻であり、すでに両人には2、3人の子供(長女の長、長男の忠隆、次男の興秋)がいたが、この若い(越中殿)の妻に対する過度の嫉妬と、ふつう一般日本人の(そのことにおける)習慣とは大いに異なっていて、(越中殿が)彼女に対して行なった極端な幽閉と監禁は信じられぬほど(厳しいもの)であった。(同、221ページ)
「過度の嫉妬」とあるが、「細川家記」には次のようなエピソードがある。忠興はガラシャのそばに男性が近づくのを禁じていたのに、ある下僕がガラシャのもとに行ったため、手打ちにした。そして、その刀の血を、ガラシャの着ていた小袖(こそで)で拭ったのだが、ガラシャもその小袖を着替えることはしなかった。ついに最後には忠興も詫びて、やっと新しいものに着替えたという。これに近い逸話はたくさんあり、それを細川家の家史に記していることからも、忠興とガラシャの夫婦関係が窺(うかが)い知れる。
フロイスの『日本史』にも、忠興がガラシャを監禁したその厳しさを具体的に書いている。二人の家臣に高給を与えて、昼夜問わず妻の監視を義務づけ、自分が外出する時には、どんな人間が家に入り、誰が外出し、どこへ行ったかを書面で報告するよう命じたのだ。また、ガラシャにはいかなる伝言も許さぬように、彼女に伝えられることはその家臣の検問と調査を受けるようにとも。忠興は「そう(した)支配において厳しい男として天下に知られていた」という(同、222ページ)。
ただし、そのような中で忠興は、代表的なキリシタン大名だった高山右近からキリスト教の話を聞き、ガラシャにもそのことを話して聞かせていた。忠興と右近は「利休七哲」(千利休の高弟)に数えられているが、無二の親友だったのだ。それがきっかけでガラシャは屋敷を抜け出して大坂の教会に行き、そして洗礼を受けるのだが、夫の忠興もキリシタンになりたいと思っていたのではないかとフロイスは書いている。
彼女は時々、夫の口から、彼の大の親友である(高山)右近殿が彼に話して(聞かせた)デウスの教えに関することとか説教のことを耳にした。(そして彼女の)夫は、我らの(キリシタンの)教えを改めて聴聞し、すでにキリシタンになりたいとの気持を抱いていた。(同、223ページ)
しかし、そうした忠興のキリスト教への思いを変えたのは、まさにガラシャが一度きり教会に行くチャンスとなった忠興の「九州攻め」への出陣だった。(7に続く)
NHK大河ドラマ「麒麟がくる」とキリスト教(1)明智光秀はキリスト教を信じていたか
NHK大河ドラマ「麒麟がくる」とキリスト教(2)明智光秀の娘、細川ガラシャの信仰
NHK大河ドラマ「麒麟がくる」とキリスト教(3)芦田愛菜が細川ガラシャに配役された理由
NHK大河ドラマ「麒麟がくる」とキリスト教(4)Go Toトラベルで行きたい細川ガラシャゆかりの地
NHK大河ドラマ「麒麟がくる」とキリスト教(5)細川ガラシャと夫・忠興との危うい関係 その1
NHK大河ドラマ「麒麟がくる」とキリスト教(6)細川ガラシャと夫・忠興との危うい関係 その2
NHK大河ドラマ「麒麟がくる」とキリスト教(7)細川ガラシャと夫・忠興との危うい関係 その3
NHK大河ドラマ「麒麟がくる」とキリスト教(8)細川ガラシャと夫・忠興との危うい関係 その4
NHK大河ドラマ「麒麟がくる」とキリスト教(9)ガラシャの長男、忠隆 その血は天皇陛下や政治評論家に
NHK大河ドラマ「麒麟がくる」とキリスト教(10)ガラシャの次男・興秋と三男・忠利
NHK大河ドラマ「麒麟がくる」とキリスト教(11)ガラシャの娘、長と多羅
NHK大河ドラマ「麒麟がくる」とキリスト教(12)細川ガラシャに洗礼を授けた侍女・清原マリアの道備え その1
NHK大河ドラマ「麒麟がくる」とキリスト教(13)細川ガラシャに洗礼を授けた侍女・清原マリアの道備え その2
NHK大河ドラマ「麒麟がくる」とキリスト教(14)細川ガラシャに洗礼を授けた侍女・清原マリアの道備え その3
NHK大河ドラマ「麒麟がくる」とキリスト教(15)本能寺の変と細川ガラシャ 前編
NHK大河ドラマ「麒麟がくる」とキリスト教(16)本能寺の変と細川ガラシャ 後編
NHK大河ドラマ「麒麟がくる」とキリスト教(17)第一級史料に見る細川ガラシャの最期 その1
NHK大河ドラマ「麒麟がくる」とキリスト教(18)第一級史料に見る細川ガラシャの最期 その2
NHK大河ドラマ「麒麟がくる」とキリスト教(19)第一級史料に見る細川ガラシャの最期 その3
NHK大河ドラマ「麒麟がくる」とキリスト教(20)細川ガラシャを介錯した小笠原秀清の信仰
NHK大河ドラマ「麒麟がくる」とキリスト教(21)ガラシャ没後の細川忠興 その1
NHK大河ドラマ「麒麟がくる」とキリスト教(22)ガラシャ没後の細川忠興 その2