NHK大河ドラマ「麒麟がくる」とキリスト教(17)第一級史料に見る細川ガラシャの最期 その1

細川ガラシャ(芦田愛菜)は最期、殉教とも思える死を選んだ。その詳細を今に伝えているのは、細川家の文書などではなく、当時の宣教師による史料だ。

しかし、それはお馴染みのフロイスの『日本史』ではない。フロイスは、ガラシャが死ぬ3年前(1597年)、長崎で帰天したからだ。

『16・7世紀イエズス会日本報告集』第I期第3巻(同朋舎)には「1599~1601年、日本諸国記」(フェルナン・ゲレイロ編『イエズス会年報集』第1部第2巻)の日本語訳が収められている。その27章(244~248ページ)に、「これらの変革の時(豊臣から徳川に天下が変わる時)、大坂で生じたキリシタン夫人(細川)ドナ・ガラシアの悲しむべき死去について」という詳細な報告がある(「ドナ・ガラシア」とあるが、「ドナ」はポルトガル語で女性への尊称で、男性の場合は「ドン」となる)。この文書には、日本で活動を続けていた宣教師によって、生々しい臨場感あふれるガラシャの最期の様子が伝えられている。

大阪カテドラル聖マリア大聖堂(カトリック玉造教会)内には細川ガラシャと高山右近の絵が飾られている(写真:服部由愛)

時は1600年、「関ヶ原の戦い」で、徳川家康(風間俊介)率いる東軍と、亡くなった豊臣秀吉(佐々木蔵之介)を引き継ぐ石田三成などを中心とした西軍がぶつかり合い、東軍が勝って江戸幕府が開かれることとなる。その東軍の勝利に貢献したのがガラシャの死だと言われている。なぜなら、それによって、東軍の大名たちの妻子を人質にする作戦を三成に断念させたからだ。その東軍についた大名の一人が細川忠興(望月歩)だった。

この争い(関ヶ原の戦い)では、丹後の国の、異教徒の領主長岡(細川)越中(忠興)殿の妻で、ドナ・ガラシアという名の一人のキリシタン夫人にきわめて悲しむべき事件が生じた。この夫人についてはたびたび(これまでに)書かれてきた。この領主は、関東の戦(いく)さに内府様(徳川家康)に随行した諸侯の一人であった。(同、245ページ)

こういう書き出しでガラシャの最期の次第がつづられていく。まずは、ガラシャが幽閉されていた大坂の細川屋敷のことからだ。

彼(忠興)は、自らのきわめて重立った身分の高い家臣の小笠原(秀清)殿、および他の家臣に、自分の妻と邸宅を委(ゆだ)ねた。越中殿は至って誠実を好む人物であったので、邸(やしき)から離れる時には、自らの家臣と邸を守っていた他の者たちに次のように命じるのが常であった。もし自分の不在の折、妻の名誉に危険が生じたならば、日本の習慣に従って、まず妻を殺し、全員切腹して、わが妻とともに死ぬように、と。このたびも、彼は同じ命令を己が家臣に対して託した。(同)

忠興は出陣する際にはいつも、「自分がいない時にガラシャに魔の手が伸びるようなことがあれば、まず妻を殺し、全員切腹するように」と言い置いていた。この時も忠興は家康に従って会津の上杉征伐に出陣することになったのだが、同じように家臣に伝えていたのだ。

そこで奉行たちは、その同盟が露見した当日に越中殿の邸に伝言を送り、邸を守っていた者に対して、彼女の夫の安全のため人質として彼女をとるため、ただちにガラシアを引き渡すようにと言った。(同)

家康に敵対していた三奉行(前田玄以、増田長盛、長束正家)などが西軍を結成して挙兵することになった。そのとき三成は、東軍の大名たちの妻子を大坂城下のそれぞれの屋敷から城中に引き入れ、人質として東軍の大名たちを牽制(けんせい)しようと、まずガラシャのもとにその旨を伝えた。

(家臣)らは、ガラシア夫人を渡す意向はないと応(こた)えた。彼らは、奉行たちが邸を包囲し、自分たちの女主人を捕えるつもりであることをすぐに察知し、彼女の名誉のため自分たちの主君の命令を実行に移そうと決意した。(同)

忠興が日ごろ言っておいた「妻の名誉に危険が生じる」事態がついに発生したのだ。ちなみに、同じく東軍についていた黒田官兵衛の妻は、人質として捕らえられる前に、家臣が米俵に入れ、大坂屋敷の裏手から商人によって運び出され、船に積み込まれた。そのとき、細川屋敷から火の手が上がり、人々がそれに気を取られている隙(すき)に大坂を脱出することができたという。

こうして彼らは急遽(きゅうきょ)ドナ・ガラシアにいっさいを知らせに行った。ドナ・ガラシアには何一つ異議はなく行動に移った。そして彼女は、常々よく整頓(せいとん)し飾っていた自分の祈禱(きとう)室に入った。ただちに行灯(あんどん)に火を点(とも)すように命じ、死に支度をしながら跪(ひざまず)いて祈り始めた。(同)

ガラシャは自分の祈祷室に一人こもり、ミサの初めにろうそくに火をともすように行灯に火を入れさせ、神と1対1になって祈り、そうしてすべてを委ねた。それは十字架の前夜、オリーブ山のふもとにあるゲツセマネの園でイエスが次のように祈った場面を髣髴(ほうふつ)させる。

「父よ、御心なら、この杯を私から取りのけてください。しかし、私の願いではなく、御心のままに行ってください。」〔すると、天使が天から現れて、イエスを力づけた。イエスは苦しみもだえ、いよいよ切に祈られた。汗が血の滴るように地面に落ちた。〕(ルカ22:42~44)(18に続く

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