【日本YWCA】 クリスマスメッセージ「それでもクリスマスはやってくる」 三河悠希子(活水高等学校 活水中学校宗教主任)

Image by Philip Walenga from Pixabay

自分の事として考えてみると

「空爆の下で逃げまどう子どもたちを見ると、あの子は原爆の時の私だと思うのです」

イスラエルとパレスチナのニュースを見た被爆者の方の言葉です。泣きながら逃げまどう子ども。子どもを抱いて逃げる母親。被爆当時6歳だったその女性は、戦闘の報道を見るとあの時の自分のようで遠い国の出来事だとは思えない、とおっしゃいました。ご自身の体験と重ねて、子どもたちの悲しみを自分の悲しみとして受け止めているようでした。

 「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。(マタイによる福音書1章23節)

 「いやいや困るでしょ。普通に。困るでしょ。ってかどうするの?」

大学のキリスト教学の授業で、イエス様の降誕の次第を知った学生の言葉です。時代背景が異なるとはいえ、イエス様の母マリアは今の中高生の年齢であり、婚約中に「聖霊により身ごもった」わけです。まだ準備のできていない若い女性の予期せぬ妊娠。その学生は「自分の身に起こったら」と想像力を働かせて、大学はどうするのか、経済的に両親に頼れるのか、怒られるけど両親に言えるだろうか、相手はそれでも結婚してくれるのかと次々と具体的な問題を挙げていきました。

「ヨセフってさ、このとき何歳? ある意味すごいよね。俺40代後半だけど、受け入れられないと思うよ」

マリアが聖霊によって身ごもったので受け入れるように、と天使が婚約者のヨセフに言う聖書箇所についての牧師の説教を聞いた時の、私の夫の感想です。ヨセフも大変です。天使に「恐れず妻マリアを迎え入れなさい」などと言われても、自分の子ではない子どもを育てていく困難さ、自分自身の将来への不安、世間の目もある、どうしたらいいのだろうという状態でしょう。

「初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせたって聖書はさらっと書いてるけど、冗談じゃないよね」

第一子が生まれた後、クリスマスに向けて、礼拝メッセージの準備をしていた時の私の感想です。コロナ禍での出産であっても、私が安心できたのは、助産師さんやお医者さん、病院の方々がいてくれたからです。マリアのように家畜小屋で、夫ヨセフ、それも出産立ち合い経験ゼロのあてにならない手助けだけで出産なんて、考えたくもありません。それに、生まれた赤ちゃんを飼い葉桶に寝かせるのも嫌です。少なくともマリアにとっては、自分のお腹の中で大切に育ててきた赤ちゃんです。その大切な赤ちゃんを、きっとどこかから引っ張り出してきたであろう布に包んで、飼い葉桶に寝かせるのです。清潔な布や暖かい寝る場所を準備してあげたかったはずです。

誰かが、この瞬間に直面している問題

クリスマスの出来事は問題だらけです。まだ婚約中の若い女性が、聖霊とはいえ、パートナーではない相手との間に妊娠する。宿屋には泊まる場所がなく、家畜小屋で出産。それ以外にも、羊飼いは屋外で深夜労働。ユダヤはローマ帝国という大国に支配され翻弄され、為政者であるヘロデは自分自身の利益しか考えていない。

でも、この問題だらけの状況は、私たちの生きる現代も同じなのです。準備のできていない予期せぬ妊娠、困難を抱えての出産、その後に待ち受ける困難な状況での育児、そして厳しい労働環境やそれでも辞めることのできないさまざまな事情。為政者の不正。今を生きるみなさんにも、私にも起こる可能性のある問題であり、すでに起こっているかもしれない問題、そして、私たちのすぐそばの誰かがまさに今直面している問題なのです。

だからこそ、クリスマスは、ずっと昔、遠いどこかの国で起こった、みなさんには、そして私には関係のない出来事ではないのです。確かに、2000年以上前に、ベツレヘムという日本からは遠い場所での出来事です。でも、その登場人物は、みなさんであり、私、そして、私たちのすぐそばにいる人たちと同じなのです。クリスマスは、現代と同じ問題だらけの世界の出来事です。

こんな世界に一方的に救いがきた

ニュースに映る空爆の中で逃げまどう子どもだって、遠い国で起こった、私たちに関係のない問題ではありません。私たちの生きるこの同じ時代に、誰かの大切な子どもが危険にさらされ、誰かのパートナーが戦わなくてはいけない状況に置かれているのです。時代が違えば、場所が違えば、状況が異なれば、逃げているのはみなさんや私かもしれず、みなさんや私の子どもやパートナーかもしれないのです。

しかし、それでもクリスマスはやってきます。この世界が平和でみんなでお祝いをする準備ができているからクリスマスがくるのではないのです。私たちの準備に関わらず、一方的な恵みとして、クリスマスはやってきます。問題が解決していなくても、問題だらけの世界に、みなさんのところに、私のところに、そして空爆の下にいる人々に、救い主がやってきたのです。準備ができていない若い夫婦の間に、準備ができていない家畜小屋にイエス様がお生まれになったように、準備ができていない私たちの所に救い主が、神様ご自身がやってきてくださったのです。

悲しみも、悩みも、一緒に背負って

クリスマスのあの日、神様の大切な独り子イエス様は家畜小屋に生まれました。それは、私たちを愛しておられるからこそ、準備のできていない問題だらけの私たちの所に神様が直接行って、その悲しみも、苦労も問題も、一緒に背負ってくださるためです。

だから、もし今、困難の中で悩んでいるならば、神様があなたと一緒におられ、すべての問題を一緒に背負ってくださるためにこの世界にきてくださった、それがクリスマスなのだと知ってください。

困難の中にいる人のために何かしたいと思うならば、神様が一方的な恵みとしてこの世界にイエス様を遣わしてくださったように、神様が大きな恵みを与えてくださることを信じ、神様が共に生きるように与えてくださった目の前にいる隣人のために、どんな小さな事でもしてみてください。それがクリスマスです。

(みかわ・ゆきこ=活水高等学校 活水中学校宗教主任)

出典:日本YWCA広報誌2023年12月号

www.ywca.or.jp


YWCAは、キリスト教を基盤に、世界中の女性が言語や文化の壁を越えて力を合わせ、女性の社会参画を進め、人権や健康や環境が守られる平和な世界を実現する国際NGOです。

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