「公立」を「私立キリスト教主義」へ 小倉仁史 【地方からの挑戦~コレカラの信徒への手紙】

「近くの他の町や村へ行こう。そこでも、私は宣教する。そのために私は出てきたのである」

ようやくなじみ始めた盛岡から、新しい伝道牧会の地へと移ろうとする最後の中心の奉仕は、公立保育園の民営化事業でした。盛岡市では市立保育園の一部を少しずつ民間委託していたのですが、私が平日ご奉仕していた学校法人岩手キリスト教学園もそれに名乗りを上げ、そのうちの一つの園を受け持つことになっていました。私は、その移管準備室の室長として、主に役所や建築会社などとの交渉や、資金調達などの財務周りを担当することになりました。

私が赴任した時には民営化まであと12カ月。お金を借りて新園舎を建て、職員を集めて今通っているご家庭に民営化をご理解いただくだけというフェーズでした。しかし、「移管が決まっているからもう楽勝!」ではまったくなく、むしろここからがこの事業の本番だったのです。

まず新園舎建設。大きな十字架が掲げられた素晴らしい建物の設計はおおよそできていたのですが、礼拝を行う遊戯室の設計などに時間を取られてしまい、建設会社への入札説明会が遅れてしまったのです。しかし、移管日は盛岡市との契約で決まっている。それはすなわち、短期間で園舎を建てなければならなくなったということです。子どものための施設ですから安全面だけは譲れず、入札いただいた建設会社には、厳しい工期でお願いをすることになりました。

ただでさえ短納期でのお願いで始まった園舎建築ですが、地盤が固すぎて杭を入れるのに時間がかかったり、掘ったところから昔の遺物が出てきたり、工事のために電柱を動かさなければならなかったり……。移管予定日の3カ月前は、本当に4月1日に子どもを受け入れられるかどうか、祈りの毎日でした。

問題はそれだけではありませんでした。現在、お子さんを預けているご家庭のことです。「公立だから入れたのに」「お祈りとか宗教は嫌だ」「私立はお金がかかりそう」など、アンケートでは多くのご意見をいただきました。民間委託先に選んでもらう際、役所の人にはキリスト教保育の素晴らしさを説いて受託したのに、やはり直前になると「できるだけ公立時代の年中行事や保育方針を踏襲してほしい」と言われました。新園長には、ベテランの保育士である教会員があたる
ことになっていましたが、各ご家庭や地域に信頼を得るまでは仕方ないと、やりたかった礼拝や保育中のお祈りをぐ
っと抑えて、キリスト教に関心がない方でも安心して預けてもらえるように方向修正をしました。

さまざまな困難を乗り越えつつ、2023年4月に一つの公立保育園がその地域に高らかに十字架を掲げた私立保育園へと生まれ変わり、無事に1日から子どもが預けられることができました。この奉仕のおかげで私は盛岡中を駆け回ることになり、この街を離れたくなくなってしまいました。にもかかわらず、私はその生まれ変わった保育園の保育日初日を見届けることなく、新しい地へと移されたのです。

新しい伝道牧会の地は「本牧(ほんもく)」。初めてその地名を聞いた時の言葉は、「それどこですか?」でした。

おぐら・ひとし 1977年東京都生まれ。サラリーマン時代は仕事の後にMBAを学びに行くほど経営や経済に夢中だったのに、ある時聖書に出会い35歳で受洗。約20年のサラリーマン生活を捨てて東京神学大学へ編入学。同大学院修了後、日本基督教団舘坂橋教会、2023年度より日本基督教団本牧めぐみ教会に赴任。好きなことは子どもに関わることとテニス。

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