寝た人が起きるって、実はすごいこと!!【聖書からよもやま話234】

主の御名をあがめます。

皆様いかがお過ごしでしょうか。MAROです。
今日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

毎回、新旧約聖書全1189章からランダムに選ばれた章を読んで、僕の心に浮かんだ事柄を、ざっくばらんに話してみようという【聖書からよもやま話】、今日は旧約聖書 詩篇の3篇です。それではよろしくどうぞ。

◆詩篇 3篇5節

私は身を横たえて眠り また目を覚ます。
主が私を支えてくださるから。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

僕たちは毎日寝ます。時間がずれてしまう人や、時間の短い人長い人、いろいろありますが、寝ない人はいません。でも良く考えると寝て起きるってすごいことです。

だって意識がなくなって、それがまた戻ってくるんですから。基本的に人間は意識を失うのは嫌なものです。貧血で倒れて意識を失うのも、フライパンで殴られて意識を失うのも、避けたいものです。人間は基本的には意識をなるべく保とうとします。それは意識を失ったらそれが戻ってくる保証がないからです。

しかし寝る時だけは例外です。寝る時はむしろ自分から進んで意識をなくそうとしますし、それが戻ってこない可能性については、誰もほとんど気にしません。寝て、時間がくれば起きると思っています。でも実はこれ、なんの保証もないことです。
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ダビデはここに「神様の支え」があると言っています。明日もちゃんと目が覚めると安心して眠ることができ、そして本当に目が覚めることは、神様の支えがあってこそだと。眠って意識のない間は、当然ながら自分の意識とは関係なしに、身体や脳が機能して生命を維持していますし、一定の時間が経過すれば自分の意識とは関係なしに覚醒します。「起きる」というのは、実は自分の意識とは関係なく起こることです。自分の意識で起きられるなら誰も寝坊なんてしません。目覚ましをかけるのは意識の範疇で行えますが、目覚ましがなった時に目覚めるかどうかは意識ではコントロールできません。大袈裟に言えば、寝て起きるというのは一種の賭けなんです。本当は、眠るというのは不確定要素の多い危険なことであるとも言えるんです。しかしダビデは安心して眠ります。それは神様の支えがあることを信じているからです。

もちろん「神様を信じないと安心して眠れないぞ」なんてことを言いたいわけではありません。寝て起きるという日常的な営みにも、常に神様の支えはあり続けているのだから、それになるべく気づいて、感謝して過ごしたいなと思います。

それではまた明日。

主にありて。
MAROでした。

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横坂剛比古(MARO)

横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

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