主の御名をあがめます。
皆様いかがお過ごしでしょうか。MAROです。
今日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。
毎回、新旧約聖書全1189章からランダムに選ばれた章を読んで、僕の心に浮かんだ事柄を、ざっくばらんに話してみようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧訳聖書、 イザヤ書の39章です。それではよろしくどうぞ。
◆イザヤ書 39章8節
ヒゼキヤはイザヤに言った。「あなたが告げてくれた主のことばはありがたい。」彼は、自分が生きている間は平和と安定があるだろう、と思ったのである。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)
ヒゼキヤ王は、病気のお見舞いにきてくれたバビロニアからの使者に、自分の持っているあらゆる財産を見せびらかしました。それどころか、武器庫だとか、いわゆる国家機密にあたるものまで見せびらかしました。「どうだ、僕の国はすごいだろう?」と。
これについて、神様はイザヤを通してヒゼキヤを叱りました。「君がバビロニアに見せびらかしたものは、やがてみんなバビロニアのものになり、君の子どもたちもバビロニアに捉えられてしまうだろう」。
これを聞いたヒゼキヤがいったのが今日引用した「あなたが告げてくれた主のことばはありがたい」です。誰かに叱られたときに「ありがとうございます」と言える人は立派だなと思うこともありますが、それは「自分のためを思って叱ってくれてありがとう」という意味であって、「ひどい目にあうのは私じゃなくて息子たちなんですね、ありがたや」なんて意味ではありません。しかしヒゼキヤはまさにそのような意味で「ありがたい」と言ったと書いてあります。親として、人として、為政者として、なんとひどい人なんでしょうヒゼキヤは!!
・・・と、思ったのですが、僕も人のことは言えないのかもしれません。年金問題とか国債問題とか、政治の世界では「後の世代に問題を先送る」ということが行われてしまっていますし、それで恩恵を受ける世代を「逃げ切り世代」なんて呼んだりもします。みんながみんなそうだとは言いませんが、残念ながらこの問題を「自分が逃げ切れるか否か」で考えている人も少なくありません。幸か不幸か僕自身は「逃げきれない世代」なので、これを自分の将来に直結する問題として考えていますが、もし自分が「逃げ切り世代」であったらどうだろう?と想像してみますと、もしかしたら今ほど深刻に考えなかったかもしれません。
環境問題も同じような話です。たとえば「200年後に地球が危ない」と言われても、それは自分の問題としてすぐにはピンと来なかったりします。まして「50億年後には太陽が膨張して地球が飲み込まれる」なんて言われても、まったくピンときません。
それはクリスチャンが信じる「世の終わり」についてもそうかもしれません。いつか黙示録に記されている「世の終わり」が必ず来るのだと分かっていても、どこかで「それは自分の生きている間には来ないだろう」なんて思っていたりします。聖書には「それはいつ来るかわからないんだから、自分の問題としてしっかり考えて準備しておけよ」と何度も書いてあるのに。
こんなふうに考えると、僕はちっともヒゼキヤを非難できないなと思うんです。聖書ってやっぱり単なる「ここではないどこか」の人の物語ではなく、自分の姿を映し出す鏡でもあるのだと思わされます。
50億年後のためと言われたらさすがに何をしたらいいのか見当もつきませんが、100年後200年後の人たちに、よりよい世界を残せたら良いなと改めて思います。きっと100年前の人も200年前の人も、そんな思いを抱きつつ、今の世界を僕たちに残してくれたのかと思います。だからこそ、戦争が起こってしまうのは悲しいことです。それは現代の人の幸せだけでなく、先人たちの思いや祈りを踏みにじることでもあります。一日もはやく不毛な争いが終わるように、祈ります。
それではまた明日。
主にありて。
MAROでした。
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