諸行が無常だからこそ、鎌倉殿は天下をとった。【聖書からよもやま話153】

主の御名をあがめます。

皆様いかがお過ごしでしょうか。MAROです。
今日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

毎回、新旧約聖書全1189章からランダムに選ばれた章を読んで、僕の心に浮かんだ事柄を、ざっくばらんに話してみようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧訳聖書、  サムエル記第一の2章です。それではよろしくどうぞ。

◆サムエル記第一 2章4〜5節

勇士が弓を砕かれ、
弱い者が力を帯びます。
満ち足りていた者がパンのために雇われ、
飢えていた者に、飢えることがなくなります。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。

『平家物語』の冒頭の、あまりに有名なフレーズです。隆盛を極めた平家も、あっという間に権勢を失って壇ノ浦に滅びてしまいました。今年のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』はまさに今ちょうどそんな時代を描いていますから、それを別角度でも味わいたく思い、10年ほど前の大河ドラマ『平清盛』も改めて観たのですが、当時まだ低い身分であった武士の家の嫡男として育った平清盛が太政大臣まで昇り詰め、そしてまたほぼ一代のうちに滅びてゆく姿はまさに「諸行無常」を思わされます。平治の乱で敗れてほぼ再起不能と思われた源氏は反対に、わずかその25年の後に源頼朝によって鎌倉幕府を開きます。

聖書にもまた、あちこちに「諸行無常」が描かれています。どんなに力の強い者でも、神様の手一つで滅び、どんなに弱い者でも神様の手一つで栄えます。今富んでいる人でもあっという間に貧しくなりますし、今貧しい人もあっという間に富みます。日本人は「諸行無常」を時の流れや人の心の動きによるものと理解することが多いですが、聖書ではそれはすべて神様の心一つによるものだと理解します。

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Utagawa Kuniyoshi, Public domain, via Wikimedia Commons

人はつい、今と同じ世の中が明日も明後日もずっと先も続くと思ってしまいがちですし、今と同じ境遇が明日も明後日もずっと先も続くと思ってしまいがちです。しかし、そんなことはないんです。今からちょうど2年前、新型コロナウイルスの流行が始まって、あっという間に世の中は変わりました。この2年で、それまで業績をグングンと伸ばしていた会社が倒産したり、反対に経営が危なかった会社が息を吹き返したり、劇的な逆転劇がたくさん起きました。それまで「営業は足で稼ぐものだ」とバリバリ成績を上げていた営業マンの方が、リモートワークに対応できずに成績を落としてしまったり、反対にそれまで泣かず飛ばずだった人が、営業のオンライン化によって一気にトップ成績に躍り出た、というような話も聞きます。コロナウイルスが世の中を一変させるのには、わずか1ヶ月ほどの時間しかかかりませんでした。世の中は、思いもよらない原因によって、ほんのわずかな期間で劇的に変わりうるものなのだと、僕は2年前に痛感しました。

今、順風満帆な日々を送っているなら、それがいつまでも続くわけではないと自分を戒めなくてはいけませんし、今、苦しい境遇に立たされているなら、それがいつまでも続くわけではないという希望を持たなくてはいけません。

あなたが今、どんなに順風満帆であったとしても、神様の力によらず自分でその境遇を維持し続けることはできませんし、反対にどんな人も、あなたを苦しい境遇に押し込め続けることはできないんです。平家は自らの権勢を自ら守ることができませんでしたし、源氏を伊豆に押し込めておくこともできなかったんです。聖書流に言えば、平家が滅びたのも、源氏が天下をとったのも、神様の心によるものだと言えるんです。

「諸行無常」と言うと、なんだか哀しく寂しい響きがありますけれど、希望の言葉でもあるんです。諸行が無常だからこそ、世には希望があるんです。

それではまた明日。
主にありて。
MAROでした。

【今日の小ネタ】
今の大河も10年前の大河も平清盛を演じるのはどちらも「マツケン」さんです。

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