主の御名をあがめます。
皆様いかがお過ごしでしょうか。MAROです。
今日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。
毎回、新旧約聖書全1189章からランダムに選ばれた章を読んで、僕の心に浮かんだ事柄を、ざっくばらんに話してみようという【聖書からよもやま話】、今日は 新訳聖書、 使徒の働きの11章です。それではよろしくどうぞ。
◆使徒の働き 11章6節
神がきよめた物を、あなたがきよくないと言ってはならない。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)
イエス様の十字架の出来事の後、使徒たちをはじめ、イエス様の弟子たちが活動を始めましたが、その中にはまだ「救いは割礼を受けたユダヤ人にだけ与えられるのだ」と考える人たちがいました。彼らはユダヤ人以外が神様を受け入れて信仰を得たという話を聞いても「彼らは救いにふさわしくない」と言いました。しかし神様は、ペテロの夢に現れて「神がきよめた物を、あなたがきよくないと言ってはならない」と告げました。つまり「救いにふさわしくない人なんていないのだ。誰もが救われて良いのだ」と言ったんです。
現代の日本では、人種によって「救いにふさわしくない」と判断されることは少ないかもしれません。でも人種以外のことで、誰かを「救いにふさわしくない」と判断してしまうことは、時としてあるかもしれません。「あの人は品行が良くないから」とか「あの人はまだ聖書の知識が足りないから」とか、理由はいろいろあるでしょうが、とにかく何らかの理由をつけて「救いにふさわしくない」と裁いてしまうことが、あるかもしれません。
しかし、「ふさわしくない」人なんて、いないんです。いえ、むしろ「ふさわしくない」人しかいないんです。「ふさわしくない」なんて言い出したら、すでに救われてクリスチャンとして生活している人にだって、「ふさわしい」人なんて一人もいません。「ふさわしくない」からこそ、神様の救いが必要なんです。「ふさわしくない」人が救われるからこそ、神様の救いは福音、すなわち「Good News」なんです。
「ふさわしい」人だけが救われるなら、それの何が、どこが救いでしょう。ですから救いには「ふさわしくない」人こそ「ふさわしい」んです。
それではまた明日。
主にありて。
MAROでした。
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