主の御名をあがめます。
早いもので、お正月が終わったと思ったら今日でもう一月も終わりですが、
皆様いかがお過ごしでしょうか。MAROです。
今日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。
毎回、新旧約聖書全1189章からランダムに選ばれた章を読んで、僕の心に浮かんだ事柄を、ざっくばらんに話してみようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧約聖書、 詩篇の6章です。それではよろしくどうぞ。
◆詩篇 6章6節
私は嘆きで疲れ果て
夜ごとに涙で寝床を漂わせ
ふしどを大水で押し流します。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)
今日の箇所はダビデの嘆きの詩です。要約するなら「神様、僕はもうひどい目にあいすぎて疲れ果ててしまって、毎晩泣いてばかりです。どうして僕をこんなに苦しめるのですか。どうか助けてください」ということになります。詩を要約するというのも非常に野暮なことではありますが。
そして詩の、いわゆる「詩的表現」という奴にツッコミを入れるのもこれまたとっても野暮なことではありますが、ダビデさんのあまりに豪快な泣きっぷりに「どんだけ豪快に泣いてるのダビデさん!」と、僕は思わずツッコんでしまいました。他の文学書とかを読んでも、なかなかここまで派手な涙の描写はみたことがありません。
だって、「涙で寝床を漂わせ」って、ベッドが浮かんで漂うほどの涙は一体何リットルですか。「枕がびしょ濡れ」とか「ふとんがびしょ濡れ」とか「ベッドから涙が溢れ出すほどに」どころではなく、「ベッドから溢れ出した涙で、ベッドがぷかぷかと浮かんで漂ってしまうくらい」という表現です。ダビデさんの「僕の悲しみは、月並みな表現で示せるような中途半端なものではない!」という気持ちがすごく伝わってきます。
でもなんか、わかる気もします。感情が限界まで込み上げてきた時って、なんだか身体がふわふわして、水に浮いているような感覚になること、あったりしますもんね。科学的に言えば、もしかしたらそれは号泣したことにより過呼吸になって、それで脳みそがちょっと誤作動を起こしてふわふわした感覚になる、というような味気ない説明がついてしまうのかも知れませんけれど、しかしそれならそれで「あぁ、過呼吸になるほど泣いたんだな。それはきっと大変な感情の波だったんだろうな。しかもそれが毎晩とは、すごくつらい時期を過ごしていたんですねダビデさん」とリアルな想像をすることもできます。
聖書って、たしかにどこを読んでも神様を讃えることはできますし、信仰を強めることもできます。しかし時にはこうやって、そこに出てくる人物の感情にとことん付き合ってみるというのも、一つの読み方かと思います。聖書に「こんな風に読まなきゃいけない。こんな感想を持たなきゃいけない」なんて縛りはないんです。ツッコミを入れながら読んでみる日があったって、良いんです。
それではまた明日。
主にありて。
MAROでした。
【今日の小ネタ】
詩人寺山修司によれば、世界中の海水と涙の量は常に一定なので、誰かが涙をこぼすと、その分だけ海の水が減るそうです。
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