耳の痛いことを言う人を遠ざけてはいけません。【聖書からよもやま話132】

主の御名をあがめます。

皆様いかがお過ごしでしょうか。MAROです。
今日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

毎回、新旧約聖書全1189章からランダムに選ばれた章を読んで、僕の心に浮かんだ事柄を、ざっくばらんに話してみようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧約聖書、  歴代誌第二の18章です。それではよろしくどうぞ。

◆歴代誌第二 18章7節

しかし、私は彼を憎んでいます。彼は私について良いことは預言せず、いつも悪いことばかりを預言するからです。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

イスラエル王アハブには400人もの預言者がいました。しかしその中の一人、ミカヤのことは嫌いでした。なぜならミカヤはいつも、アハブの耳に痛いことばかりを言うからでした。そこでアハブは彼を自分から遠ざけ、彼の言うことを聞かないようにしていました。

自分にとって耳に痛いことを言う人と言うのは嫌なものです。嫌だと言ってはいけないのでしょうけど、正直なところ、その人と会うのは気が進みませんし、できれば会いたくないですし、どうしても会わなきゃいけない時は気が重くなったりします。でも、そんな人をこそ、大切にしなくてはいけないのかもしれません。

アハブは、ミカヤの言うことを最後まで聞かず、なんなら「お前、いい加減に俺に都合の良いことを言えよ」と脅しまでしました。そして結局、自分に都合の良いことを言う人たちだけの意見を聞いて行動した末に、戦死しました。

占いでも心理テストとかでも、自分にとって嬉しいこととか都合のいいことを言ってくれるものは僕たちも信じたくなります。おみくじをひいて、大吉なら信じたいし、大凶なら「こんなの迷信だ」と投げ捨てたくなります。自分の意見に賛同してくれる人をそばにおき、耳の痛いことを言う人は遠ざけたくなってしまいます。が、それは非常に危険なことだと聖書は教えています。

自分の背中を押して励ましてくれる人を愛するのは誰でもそうでしょう。でも、自分を諌めてくれる人を愛することはちょっと難しいことです。愛するどころか、時にはそんな人を憎んだりさえ、してしまいます。でも本当は自分に苦言を呈してくれる人こそ、大切にしなければいけないんです。とはいえ、それは難しい。でもそれなら、大切にはできないまでも、せめて憎むことはしないようにしなければいけないと思います。諫言をシャットアウトしてはいけないんです。

自分で書いていて、自分の耳が痛いですが。

それではまた明日。
主にありて。
MAROでした。

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横坂剛比古(MARO)

横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

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