前回、細川ガラシャ(芦田愛菜)の生んだ3人の息子とその運命について述べたが、今回は二人の娘について見ていこう。
忠興(望月歩)と結婚した翌年の1579年に生まれたのが長女の長(ちょう)、そして3人の息子が与えられた後、88年に次女の多羅(たら)を授かった。9歳違いの娘は二人とも洗礼を受けており、イエズス会の宣教師の報告にも次のように触れられている。
長岡越中守(細川忠興)、豊前と豊後の一部分の領主で、ガラシアの夫である彼についてしばしば書いてあるが、彼には信者である二人の娘がいる。彼女たちのよい母(ガラシャ)は生きている間、密かに洗礼を授けるようにした。上の方(長)は二十歳ぐらいで、もう一人(多羅)は十六歳。今まで父が屋敷から出ることを許さないので神父と話したことはないが、徳の高い、清らかな生活をしています。彼女たちを導き守るのはわが主であることは明らかです。四季の断食をいつも守り、今年の四旬節中も断食し、毎金曜日デシプリナ(鞭)の苦行をしました。屋敷から出ることもないが信者である侍女たちによって神父と連絡をし、自由に教会を訪れて告解したり、神父と霊魂のことについて相談したりすることの望みを打ち明けています。その父は彼女たちが信者で、信者として生活することをよく知っていますが、知らない振りをしています。(マテウス・デ・コウロスによる1603年の年報、結城了悟『キリシタンになった大名』聖母の騎士社、282ページ)
「上の方(長)は二十歳ぐらいで、もう一人(多羅)は十六歳」とあるが、実際には長は24歳、多羅は15歳だ。後述するように長はすでに結婚していたが、この時は細川家に戻っていた。多羅はこの後間もなく結婚して家を出る。
また、「1601、02年の日本の諸事」にもこのように記されている。
(細川)越中(忠興)殿の娘たち(長と多羅)はしばしば司祭を訪問させ、自分たちはキリシタンであり、死に至るまで母親ガラシアに倣(なら)いたいと言い、聖週間(受難週)にはやはり鞭(むち)打ちの苦行をした。(『16・7世紀イエズス会日本報告集』第I期第4巻、同朋舎、136ページ)
長女の長は1595年、前野影定(まえの・さだかげ)と16歳で結婚していた。豊臣秀吉(とよとみ・ひでよし)の跡継ぎとされていた甥(おい)の秀次(ひでつぐ)に仕えた家老だ。
しかし、秀吉にとって念願の嫡子(ちゃくし)となる秀頼(ひでより)を側室の茶々(ちゃちゃ)が産んだために、95年、邪魔となった秀次は謀叛(むほん)の疑いをかけられて切腹させられ、夫の影定もそれに連座していたとされて切腹。秀吉から「長も差し出すように」と言われたが、細川家では長を離婚、剃髪(ていはつ)させて難を逃れることができた。ガラシャが、父・光秀による「本能寺の変」の時にも髪を切り落として幽閉されたことで許されたが、その時の経験が生かされたのだ。
長は夫を失った翌年の96年、17歳で洗礼を受ける。1597年のペドロ・ゴメスの書簡によると、殉教に赴く母ガラシャと妹の多羅を夢に見て回心の決心をしたという。
本年、またデウスの意志に気に入ることとなったのは、国主(細川)越中(守忠興)夫人ガラシアの二人の娘がキリシタンとなって喜んだことである。彼女たちの中で結婚間近の年上の娘(長)は、異例の方法によって改宗した。なぜなら彼女が妹といっしょにキリシタンになった時、それまで彼女は父親の誤謬(ごびゅう)を頑固に守って生活し続けていたからである。しかし驚いたことに、夢の中において母親(ガラシア)は、妹をいっしょに連れて殉教に赴くために、真っ直ぐに立って心を奮い起こしている姿を見せるために、彼女に現れた。それゆえ彼女自身もまた、このような輝かしい勝利の仲間に加わろうと思い立った。しかし母親は彼女を仲間にすることを認めないで、こう言った。その栄光は異教徒のものではなく、ただキリシタンだけのものである、と。彼女は母親に拒絶されると非常な悲しみに掩(おお)われ涙と啜(すす)り泣きにくれてしまい、洗礼を授かりたい望みと、母親といっしょに(殉教の)血を流したい望みをもちながら夜を明かしてしまった。それから彼女はただちに(母親)のもとへ行き熱心にこう願った。自分に洗礼への道を整えて下さるように、と。そして彼女は二人のこの上ない喜びのうちに洗礼を授かった。(同3巻、92ページ)
しかし、母ガラシャの死の3年後、1603年に長は重い病にかかり、一時的に回復はしたものの、ついに最後まで信仰を守りながら24歳で亡くなった。
次女の多羅は、1587年にガラシャが洗礼を受けた翌年に生まれた。臼杵(うすき)藩(大分)の第3代藩主である稲葉一通(いなば・かずみち)の正室となる。ここからも現在の天皇陛下につながる系譜をたどれるという。
1596年、多羅は8歳の時に姉と共に洗礼を受けた。洗礼名は「ターリョ」。
「関ヶ原の戦い」で人質に取られそうになった母ガラシャが死を覚悟した時、その大坂の細川屋敷には、出戻った長と結婚前の多羅もいた。長は、母と同じようにここで殉教したいと言ったが、ガラシャに止められ、祖父の藤孝のもとへ送られた。また多羅も、侍女の手で教会に保護されたとも、叔父の興元に預けられたとも言われている。
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宣教師による1605年の報告には、次のように書かれている。
豊後の国(大分)には2名の司祭が居住し、その古くからのキリシタン宗団に教義を教え、助け、また新たに受洗していく多くの異教徒たちの改宗によってそれを増加させることに携わっている。彼ら(新しい受洗者)は、本年、800人を越した。2ヵ所に二大教会が建てられ、その一つで、キリシタンたちは司祭を1名養うことを申し出て、それをたいそう熱心に請うた。……これらの教会の奉献の日に、諸所から3000人以上のキリシタンが集まり、その多くが告白し、聖体を拝領し、種々の喜び方でこの日を祝った。この国の個々の領主と殿たちはほとんどすべて異教徒であるが、福音の自由な説教を妨げない。むしろ支援する者も何人かいる。特に、その奥方が(細川)越中殿(忠興)の娘(多羅)で、キリシタンである、すこぶる有力な領主、臼杵(Usuquen)がそうである。彼女のために、夫はキリシタンと司祭を庇護(ひご)し、この奥方もまた贈り物をもって彼らを訪問させ、異教徒と結婚してはいるが、キリシタンとしての愛情や気持ちをこうして示している。(同5巻、100ページ)
多羅は15年、27歳の若さで臼杵の地で亡くなっているが、死ぬまで信仰を失わなかった。(12に続く)
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