Q.教会行事が多く奉仕者が疲れてしまうので、少し減らしたいのですが、「続けることに意味がある」と反対されてしまいます。(30代・牧師)
ご質問の主旨の確認ですが、伝統的に行われてきた教会行事がたくさんあって、それを例年どおり実施するために限られた教会員が次から次へと奉仕に追い掛けられていて、奉仕で疲れている。牧師としては教会行事を減らしたいと考えているが、「続けることに意味がある」と反対されて困っている。これでよろしいでしょうか。
「続けることに意味がある」と主張している方々は、多くの年中行事の奉仕に喜んで参加しておられるのですか。もしそうだとしたら、まず牧師自身が彼らの主張する意味をじっくり聞いてよく理解し納得した上で、教会員の皆さんに丁寧に説明し、協力を願えばよろしいのではないでしょうか。意味あることがわかれば、奉仕は喜びとなるでしょう。
しかし「続けることに意味がある」と主張している方々が年配者で、教会行事を守ることは教会の使命であって次世代の人々が継承するのは当然と考えているとしたら、違う対応が必要です。
牧師は教会行事が多すぎることを問題にしているのですが、残念なことに年配の方々は、現代の若者・中年の人々がどんなに多忙な日々を送っているかを知らないために、牧師が問題にしていることを理解できないと思います(筆者も80歳真近=執筆当時=なので自戒を込めて)。
ですから牧師は反対している皆さん方と、現代人は多忙で心身共に疲れ果てていて、「休み」を求めて教会に集っている現実と、教会行事のあり方の見直しの必要についてじっくり話し合うことが大事だと思います。
そうした上で、これまでの教会行事について、聖書的・教会史的・今日的視点から再検討する機会をつくり、年月をかけて教会全体で納得いく結論を出せばよいのではないでしょうか。どうしてもやらねばならない教会行事はありますし、奉仕も必要です。意味ある奉仕であれば誰でも喜んで参加しますし、それは本人にとっても教会にとっても祝福となるでしょう。
さたけ・ときお 1933年山形県生まれ。65年に開拓伝道を始め、日本バプテスト教会連合国分寺バプテスト教会牧師として30年間牧会に従事。その後、同教会の協力牧師となる。国内開拓伝道会(KDK)委員、聖書と精神医療研究会委理事、社会福祉法人いこい理事長を歴任。著書に『この岩の上に――開拓から百人教会へ』(いのちのことば社)。2019年、86歳で逝去。