わたしは福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。
ローマの信徒への手紙1章16節(参照箇所同書1章16〜17節)
パウロは当時の世界の中心であるローマへ行きたいと願っていました。その願いは、エルサレムで反対派に捕らえられ、ローマへ送られることになり実現したのでした(使徒27、28章)。
ローマの信徒への手紙は、その旅の前、56年頃コリントで書かれたと言われていますが、ローマのまだ会ったこともない信徒へ手紙を送るに当たって、前もって彼が信じる福音信仰とは何かを伝えたかったと思われます。「わたしは福音を恥としない」とは、手紙に込めた、パウロの信仰の姿勢ともいうべきものです。おそらくキリストの十字架と復活を核とする、彼のキリスト信仰は当時の人に愚かに見えるにちがいないと思っているからです。「わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわちユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが」(コリント一、1章24節)と言い、証拠や理屈の上では福音は否定されると予測しているのです。
しかし、ダマスコ途上での復活のキリストとの出会いの体験は、ユダヤ人やギリシア人が求める証拠や理屈を越えるものがありました。その体験が彼をして「わたしは福音を恥としない」と言わせているのです。