皆様いかがお過ごしでしょうか。MAROです。今日も日刊キリスト新聞クリスチャンプレスをご覧いただきありがとうございます。
毎回、新旧約聖書全1189章からランダムに選ばれた章を読んで、僕の心に浮かんだ事柄を、ざっくばらんに話してみようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧約聖書、エゼキエル書の2章です。それではよろしくどうぞ。
◆エゼキエル書 2章7節
彼らは反逆の家だから、聞く聞かないに関わりなく、あなたはわたしのことばを彼らに語れ。(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)
神様が預言者エゼキエルをイスラエルの民のところに遣わそうとしています。そしてエゼキエルに言いました。「彼らは私に逆らいまくっている子たちだから、きっと君の言うことをきかない。でも彼らが言うことを聞かなくても、君は私の言うことをしっかり彼らに語り続けなければならないよ。いいね?」
「あの人はどうせ言っても聞かないから放っておこう」とか、「あの人たちに何かを言うと面倒臭いことになるからやめておこう」とか、世の中ではそんなことってありますよね。でも、言うべきことはやっぱりしっかり言って差し上げることが、本当は良いのです。耳の痛いことをちゃんと言ってくれる人こそ真の友だ、なんてこともよく言われます。
民は神様の言うことを聞きませんでした。でも神様は「あいつら、どうせ言っても聞かないから、もう放っておこう!」なんてことは言いませんでした。「何度言っても聞かないなら、聞くまで何度でも言ってやる!」と、エゼキエルを預言者として立てたのでした。
このシリーズでは何度かすでに解説していますけれども、預言者というのは「神の言を預かる者」です。つまり神様からの伝言役で、彼らが民に語るということは、神様が民に語るということと同義です。
神様は、人がどんなに神様を無視したとしても、見捨てずにずっと語り続けてくださる方なんです。人間は友達や恋人にも「そんなに無視するならもう絶交だよ」なんて言ってしまったりしますし、実の子にでさえ(本心でないとしても)時には「言うこと聞かない悪い子はうちの子じゃありません!」なんて言ってしまったりします。しかし神様はそんなこと言いません。「君が言うことを聞かなくても、私は君を愛しているのだ。だから耳に痛いことでも言い続けるぞ。どんなに無視しようとも、言い続けてやるぞ」これこそ本当の愛ですよね。
イヤイヤ期だろうが、反抗期だろうが、グレようが、時に道を外れようが、「うるせえな!放っておいてくれよ!」とか言われようが、神様はとことん、人間一人ひとりに愛情を注ぎ続けてくださるんです。
皆さんにはそんな人、いますか?
そして、誰かのそんな人になれますか?
それではまた。
主にありて。
MAROでした。