「心の病」への配慮は? 平山正実 【教会では聞けない?ぶっちゃけQ&A】

Q.「心の病」を抱えた信徒が増えています。どのような牧会的配慮が必要ですか?(60代・牧師)

人間は、生物学的な「命」(ギリシャ語ではビオス)と人格的な「いのち」(ギリシャ語ではゾーエー)から成り立っています。「心の病」は、身体的な病と同様に、生物学的な「命」の部分が病んでいると考えられます。もちろん、人間は全体的にとらえる必要がありますから、生物学的な病が人格的存在に影響を与えることもあります。

しかし、生物学的な「命」を構成している心や身体が病んだとしても、それは「衣」の部分が傷ついているだけであって、衣の中味である「いのち」、すなわちその人格や存在の部分は決して病んではおらず、人格の語源がペルソナ=「響き合う」であることから分かるように、他者との絆や支えを求めているのです。

したがって、「心の病」を抱えた信徒に対して牧会的配慮を行うにあたり、最も大切なことは、自傷他害的言行が目立つなど、外面的には、どんなに心が病んでいるように見えても、「生ける屍」になったような精神状態に思えたとしても、彼らの人格的な「いのち」(ゾーエー)の尊厳を重んじ、愛と畏敬をもって接することです。

そのようなかかわりのなかで、「心の病」を抱える信徒は、自らの存在を受け入れ、神と人とに心を開いていくのです。

信徒の場合、心や身体が健康なときには、特に牧会的配慮を必要としないかもしれません。しかし、死に直面したとき、罪を犯すことから免れ得ないとき、財産や名誉が失われたとき、愛する者を失ったとき、心の病にかかったときに、不安と恐怖に怯え、人格的「いのち」の基盤である存在は揺れ動きます。

このようなときこそ、心の絆を求め、神に対して心を開くチャンスが訪れます。こうした場面こそ、牧会的配慮を行う人の出番です。彼らに対して関心と共感をもって接し、支えることが大切であると思います。

ひらやま・まさみ 1938年、東京生まれ。横浜市立大学医学部卒業。東洋英和女学院大学教員を経て、聖学院大学子ども心理学科、同大大学院教授、医療法人財団シロアム会北千住旭クリニック理事長・院長、NPO法人「グリーフ・ケア サポート・プラザ」(自死遺族支援)特別顧問を歴任。精神保健指定医。著書に『精神科医からみた聖書の人間像』(教文館)、共著に『イノチを支える-癒しと救いを求めて』(キリスト新聞社)など。2013年、75歳で逝去。

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