死への恐れは不信仰? 平山正実 【教会では聞けない?ぶっちゃけQ&A】

Q.死ぬのが怖いのですが、私の信仰が未熟なのでしょうか。(50代・女性)

人間は、誰でも自分が死ぬことを想像するとき恐れを覚えます。これは信仰の有無とは関係ありません。なぜでしょうか。それは、死ぬとき多くの場合、痛みを伴うこと、愛する人と別れなければならないこと、地位や財産、名誉などを失うこと、死後への不安があることなどによるものです。

こうした恐れは、死が自分を見捨てゆくことへの生理的、心理的、あるいはスピリチュアルな防衛反応であると言ってよいでしょう。死の恐怖をもつとき、信仰の成熟度とは関係なく、しばしば、震え、動悸、発汗、息苦しさ、不眠、抑うつなどの心身症状が現れます。

このような症状が現れた場合、われわれは心身の防衛機能が破綻する危険性が迫っているという認識をもちます。そして、それが警告反応であると看做し、医療的対応をとったり、信頼できる人に恐れを抑圧せず打ち明けることを勧めます。そうすることによって恐れの感情が緩和(パリアティブという言葉にマントで覆うという意味がある)されることがあります。死の恐れを忍耐をもって聴く人がいるとき、その人々は自らの恐れを〝外在化〟(距離を置くこと)することができるのです。

こうしたさまざまな働きかけによって、体や心から発信される死の恐怖は、ある程度覆われます。しかし、このような〝よろい〟(覆い)を身に付けてもなお、解決しない恐れもあります。例えば、自分の存在自体がなくなることを予知したとき感ずる恐怖ですとか、死後、神の刑罰を受けなければならないのではないか、といったスピリチュアルな恐れに苦しめられることがあります。

このような、人格や存在に関わるスピリチュアルな恐れに対しては、心身を守る〝よろい〟だけでなく、神(キリスト)による〝よろい〟(エフェソの信徒への手紙6章13節)を身に付ける必要があります。

つまり、祈りと神のことばという〝武具〟を用いて、死の恐怖という敵と対峙するべきであると考えます。

ひらやま・まさみ 1938年、東京生まれ。横浜市立大学医学部卒業。東洋英和女学院大学教員を経て、聖学院大学子ども心理学科、同大大学院教授、医療法人財団シロアム会北千住旭クリニック理事長・院長、NPO法人「グリーフ・ケア サポート・プラザ」(自死遺族支援)特別顧問を歴任。精神保健指定医。著書に『精神科医からみた聖書の人間像』(教文館)、共著に『イノチを支える-癒しと救いを求めて』(キリスト新聞社)など。2013年、75歳で逝去。

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