罪人の友主イエス・キリスト教会(通称:罪友、埼玉県川口市)の主任牧師、進藤龍也氏は15年前、それまでの人生から神のもとに立ち返り、今では逆転の人生を歩んでいる。元暴力団員で、薬物中毒、非行歴があり、前科7犯、3回の受刑歴の末に、刑務所に差し入れられた聖書から新しい人生を見出した。
進藤氏のもとを訪れる人々も、同じような境遇の中でもがき苦しみ、「人生のやり直し」をしに教会に足を踏み入れる。裕樹さんも、進藤氏と似たような過去をたどり、3年前に罪友のドアを叩いた一人だ。
北海道で生まれ育った裕樹さんは、幼い時に両親が離婚。母親の実家に引き取られ、数年後には母が再婚したが、いつも寂しさを抱えていた。
中学に入った頃から、徐々に闇の道を歩み始めるように。しかし、同じような友達といる時が唯一、自分の居場所があると感じられた。高校を卒業した後もフラフラと生き、悪事を働きながら、29歳で暴力団員になった。
37歳だった3年前の夏、ユーチューブで時おり見ていた進藤牧師に会うため、東京プレヤーセンター内で行われていた平日の集会「ザアカイの家」を訪れた。その数日後には罪友に住み込み、仕事を紹介してもらって働き始めた。
毎日、聖書を読み、祈って、順調に更生の道を歩んでいた。進藤氏と背格好の良く似た彼は、よく洋服のお下がりをもらっていたので、一緒にいるとまるで兄弟のようだった。順調に社会にも復帰したため、教会での住み込みを卒業し、近くにアパートを借りて、一人暮らしを始めた。礼拝を守り、できる限りの奉仕もしていたが、悪魔はほんの一瞬の隙(すき)も見逃さず、裕樹さんの足元をすくった。
久しぶりに昔の仲間と会ってしまったのだ。「落ちていくのは早かった」と裕樹さんは言う。誘いの言葉は優しく、心地よく、彼の足を闇へと向けさせるのに、そう時間はかからなかった。
それまで、朝早く起きて聖書を読み、祈り、汗を流して働き、慎ましく生活していた裕樹さんは一転、薬物と管理売春、恐喝、賭博に身を任せるようになってしまった。
「その時は、99%を悪、1%だけ神様のことを考えていたように思います。肉のまま、欲のままに生活をしていました。今までの何十倍もの汚いお金が入ってきたけど、それ以上に使ってしまうので、借金もしました。心がいつも悲鳴を上げていました」
キリストを知る前に悪事を働いていた時と、やっていることは一緒だった。しかし、「こんなことをしてはいけない。イエス様が悲しむ。救ってくれた進藤先生にも申し訳ない」とずっと思っていた。教会を離れていた1年間、1日も神様と進藤先生のことを忘れた日はなかったという。
「さすがのイエス・キリストももう助けてはくれないだろう。俺(おれ)はもう終わった。きっとこのまま死ぬんだ。でも、せめて死ぬ前に、不義理を重ねた進藤先生に会っておきたかった」
義理人情の世界を生きてきた二人の間には、キリストにある凛(りん)とした絆(きずな)があったのだ。
そう思い始めて祈っていたところ、その機会は突然訪れた。昨秋、進藤氏が数日間、入院したという話を風の噂(うわさ)で聞いたのだ。
「病室だったら、二人で話せるかもしれない。いや、もしかしたら会ってくれないかもしれないけど、とりあえず病室まで行ってみよう」
勇気を振り絞って見舞いに訪れると、恩師は温かく彼を迎え入れてくれた。
「よく戻ってきたな。裕樹のこと、心配してたぞ。祈ってたぞ。イエス様はお前のこと、愛してるんだぞ」
一緒に聖書を開き、祈った。
「もう一度やり直そう」
そう心に決めた。
進藤氏はその時のことをこう話す。
「僕もね、『素人』じゃないから、その時、彼が悪いことをやってることぐらい分かっていましたよ。一度捕まって、刑務所で勤めてくればいい。そう思っていました。でも、心身ともにボロボロになった彼を見て、そして『悔い改めます』と言っているのを拒絶することはできない。だから、受け入れました」
今春、また罪友に住み込み始めた彼は、光の中を歩み始めた。闇はもう見ない。悪魔に足元をすくわれないよう、しっかりと神様にしがみつく。そう決意したのだ。
現在は、朝6時に起きて聖書を読んで祈り、仕事に出る。夕方、帰宅すると、洗濯をしたり、汗を流したりしながらゆっくり過ごす。夜、また祈って眠りにつく。
「不安や苦しみから解放されました。収入は何十分の一でしょうね(笑)。ずいぶん減りましたが、僕が働いて得たお金です。借金も少しずつですが、返していますよ。もうあと少しになりました。神様は本当に偉大です。こんな僕も愛して見放さなかったのですから。僕は、神様と進藤先生がいなかったら、おそらく死んでいたでしょう。聖書が僕のテキストなら、進藤先生は僕のガイドブック。同じ経験をした人だからこそ、信じられた。僕はそんなに大きなことはできません。でも、いつか僕のように苦しんでいる人の何か助けになりたいと思っています」
そう話す顔は自信と安らぎに満ちていた。