「的確なアドバイス」なんて要らない時もありますよね【聖書からよもやま話27】


皆様いかがお過ごしでしょうか。今日も日刊キリスト新聞クリスチャンプレスをご覧いただきありがとうございます。少しばかり夏休みをいただきまして、心身共にリフレッシュさせていただきましたMAROです。なかなか思うように過ごせない夏ではありますが、皆様も少しでもリフレッシュできますように。

毎回、新旧約聖書全1189章からランダムに選ばれた章から心に浮かんだ事柄を、皆様の役に立つ立たないは気にせずに話してみようという【聖書からよもやま話】、今日は  旧約聖書、ヨブ記の11章です。それではよろしくどうぞ。


◆ヨブ記 11章3節


あなたの無駄話は人を黙らせるだろうか。


ヨブ記は聖書の中でも解釈がかなり難しい部類に入る書です。正しく生きていたのに財産も家族も健康も、一夜にして奪われてしまったヨブは「神様、私はあなたに従って正しく生きたのにどうして!?」と嘆きます。それに対して彼の3人の友人が「いや、君は正しくなかったからこんな目にあっているのだ。だから神様に謝るべきだ」というようなことを言います。

そんな友人たちの言葉の一部が今日の箇所です。かたくなに「自分は正しかった」と主張するヨブに、ついにこの友人ツォハルは「君の主張は無駄話だ!」と暴言を吐いてしまいました。ツォハルも決してヨブを憎んでいるわけではありません。むしろヨブの友人としてヨブのために「的確なアドバイス」を与えようとしています。しかしツォハルはその「的確なアドバイス」のために、ヨブの心に寄り添うことを忘れてしまい、ついつい勢い余ってヨブを罵ることになってしまいました。

こんなことって、現実の生活でもよくありますよね。「的確なアドバイスをしなきゃ」という義務感は時として人同士のコミュニケーションの障害になります。そんなすれ違いが夫婦喧嘩を生むという話もよく聞きます。ただ自分の苦しみや悩みに寄り添って欲しかっただけなのに、「的確なアドバイス」をされて残念な気持ちになるというのは、「的確なアドバイス」をしようとした側からすれば理不尽にも思えますが、しかしそれも人間の心のあり方なのかと思います。

ヨブもこれ以上ない苦しみと悲しみの中にあって、友人に寄り添っていて欲しかったんです。しかし友人たちは「的確なアドバイス」をしようとしてしまいました。それがヨブの心を傷つけ、そして頑なにしてしまいました。

もちろん「的確なアドバイス」は大切なものですし、ありがたいもの、得がたいものです。それをくれる友人は、人生において最良の宝の一つとさえ言えるでしょう。しかし「的確なアドバイス」というのは意外とタイミングや使い方が難しいのだということは覚えておいた方が良いのだと思います。まして「せっかく俺が的確なアドバイスをしてやろうとしているのに!」と怒ったりしてしまっては、せっかくの友情も優しさも逆効果になってしまいます。

友情の難しさ、優しさの難しさを考えさせられます。

皆様の苦しみや悩みに誰よりもまず、神様が寄り添ってくださいますように。

それではまた。
主にありて。MAROでした。

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横坂剛比古(MARO)

横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

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