わたしの恵みはあなたに十分である。カは弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ(コリントの信徒への手紙二 12章9節)
パウロは愚かしいと知りつつ、霊的な力を誇る伝道者にならって、自分も誇ろうと言う。しかし、彼は能力や功績ではなく、苦難を語る(11・23〜28)。パウロはキリストに仕えて、英雄になったのではなく、苦難のために身も心もぼろぼろになった。しかし、そのことが彼にとって「キリストに仕える者」(11・23)の証拠であった。キリストに仕える苦しみの中で、パウロは十字架のキリストと結ばれている。「キリストと共に苦しむなら、共にその栄光をも受ける」(ローマ8・17)。これが彼の慰めであり、誇りである。
パウロは「第三の天にまで引き上げられた」(2節)ことを三人称で語る。自分にも誇れる霊的体験があるが、しかし、そのことで思い上がることのないように、主は自分の身に一つのとげを与えたと言う。彼は自分を痛めつけるとげからの解放を願って、何度も主に祈った。しかし、その祈りに対する答えが、今日の聖句であった。パウロは「だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう」(9節)と言う。苦しみを受け、弱さを思い知らされるところに、「弱さのゆえに十字架につけられ」(13・4)たキリストが共におられる。弱さを持つ者をあえて選び、仕える者として持ち運んでくださるキリストがおられる。それが、苦難の中で弱さを思い知ってもなお絶望しないパウロの秘密であった。「それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱い時にこそ強いからです」(10節)。