「勢力を増し加える」ためにまず必要なことは努力ではありません。【聖書からよもやま話210】

主の御名をあがめます。

皆様いかがお過ごしでしょうか。MAROです。
今日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

毎回、新旧約聖書全1189章からランダムに選ばれた章を読んで、僕の心に浮かんだ事柄を、ざっくばらんに話してみようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧約聖書、   歴代誌第二の27章です。それではよろしくどうぞ。

◆歴代誌第二 27章6節

ヨタムは勢力を増し加えた。彼が、自分の神、主の前に、自分の道を確かなものとしたからである。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

人間たるもの「自分の勢力を増し加えたい!」と思うものです。いつも思ってはいなくとも、人生のうちで一回も思ったことのない人は恐らくいないのではないでしょうか。「勢力を増し加える」って、必ずしも「領土を広げる」とか「国力をアップする」という意味ではありません。「もっとお金が欲しい」とか「もっと出世したい」とか「もっとモテたい」とか「もっとちやほやされたい」とか、そういう欲求も含むものだと思います。そこまで含んだとして、さぁ「私は自分の勢力を増し加えたいなんて思ったことはない!」と断言できる方はいらっしゃるでしょうか。まずいらっしゃらないと思います。

人は「自分の勢力を増し加える」ために、さまざまな努力をします。お金を稼ぐために一生懸命に働いたり儲けたお金を投資したり。出世するために対人スキルを磨いたり政治力を身につけたり。モテるためにファッションに気をつかったりトーク力を身につけたり。人は何を得るにしても自分の努力が必要だ、というのが、世の常識です。

しかし、ここに出てくるヨタム王が「勢力を増し加えた」のは、彼が努力をしたからではなく、「自分の神、主の前に、自分の道を確かなものとしたから」だと聖書は記しています。ヨタムは「内政に力を入れて生産力をあげた」とか「外交に力を入れて交易力をあげた」とか「軍事に力を入れて領地を増やした」とかではなく、何より「主の前に自分の道を確かなものとした」からこそ、栄えたのだと。もちろん、先にあげたようなことも、結果としてヨタム王も行なったのだとは思いますが、それよりなにより、まず最優先にしたのは「主の前に自分の道を確かにする」ことだったんです。
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でも、言われてみればそうですよね。立派なことを成し遂げる人は往々にしてまず「揺るがない自分」を持っています。「これと決めたらテコでも動かない」気力を持っています。しかし、そう分かってはいても、それを自分が得ようとするのは簡単なことではありません。「揺るがない自分」って一筋縄で手に入るものではありません。少なくとも自分の意思とか努力では。だからこそ、自分を不動の神に根拠づけること、それが必要なのかと思います。

根拠というのは外側になければいけないものです。よく「自分を信じる」なんて世では言われますが、自分の根拠を自分においてしまうのは、実は非常に不安定です。建物は地面に土台を置くから丈夫なのであって、地面なしに建物自体に土台を代行させようとしても無理です。重心の不安定なものを立たせるには、つっかえ棒とかなんとか、外側からの支えが必要です。しかもその外側の支えが不安定ではもちろん話になりません。

ジグソーパズルをやる時、まず外側の枠から始めますよね。内側から始めるという人には僕は今まで会ったことはありません。それは「パズルの外側の空間」にまず根拠を置いているということです。「外側」がジグソーパズルの絶対の根拠になってくれるんです。内側の1ピースを根拠に組み立てることは難しいんです。

「神様は一人一人の心の中にいるんだよ」なんて言えば耳に優しいですけれど、それでは実は安定しないんです。神様は自分の外側に存在してくださるからこそ、この身も心も安定するんです。

それではまた明日。

主にありて。
MAROでした。

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