もしも神様が僕の味方じゃなかったら【聖書からよもやま話207】

主の御名をあがめます。

皆様いかがお過ごしでしょうか。MAROです。
今日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

毎回、新旧約聖書全1189章からランダムに選ばれた章を読んで、僕の心に浮かんだ事柄を、ざっくばらんに話してみようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧約聖書、   詩篇の124篇です。それではよろしくどうぞ。

◆詩篇 124篇1節

「もしも主が私たちの味方でなかったなら。」
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

詩篇の数ある詩の中でも、かなり短くてわかりやすい部類に入るのがこの124篇かと思います。テーマはシンプルに「もしも神様が僕たちの味方じゃなかったら。」

シンプルですけど深いテーマです。神様が敵に回ったら何をしてもうまくいかないでしょうし、極端な話、ノアの方舟の時のように世界を滅ぼしてしまうことさえ可能なわけです。ということは、今、この世界があるということだけで、神様は少なくとも敵には回っていないということがわかります。あれやこれやとうまくいかないことがあるにせよ、僕が今こうして日々文章を書いていられるのも、神様が味方であるということの証拠なのかもしれません。
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仕事の中でも日常生活の中でも、「この人は敵に回したくないな」とか「この人が味方で良かった!」って人がいますよね。僕にもいます。たとえば仲良くさせてもらっている弁護士さんとか。このクリプレのスタッフさんだって「この人が味方で良かった!」って人ばかりです。しかし、それより何より圧倒的に敵に回したくないのは神様です。

聖書のこの詩人も「神様が味方じゃなかったら僕たちはもうとっくに誰かに滅ぼされていただろうね」と書いています。僕個人も改めて考えてみたら同じです。神様が味方じゃなかったら、僕はもうとっくにこの世にいなかったかもしれませんし、少なくとも今よりもずっと荒んだ生活を送っていたと思います。

他のどんな人を敵に回したとしても、神様を敵に回すより、はるかに、圧倒的に、絶対的に、マシなことです。それがたとえどんな金持ちや権力者であろうとも。どこかの国のあの独裁者であろうとも。

社会に生きていれば「これを言うとあの人が敵に回るかもしれないし、でも言わないとこっちの人が敵に回るかもしれないし・・・」と何かと人間関係に気をつかいます。が、そういったことにあれこれと気を回すよりも、ただ一つ神様を敵に回さないことだけに心を向ければ数多で雑多な気づかいから解放されます。・・・とはいえ、それもなかなか難しいですけどね。でも、人間関係に疲れたら「たとえ誰かが敵に回っても、神様が味方ならそれでよし!」というのも、心が楽になる考え方かもしれません。

それではまた明日。

主にありて。
MAROでした。

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横坂剛比古(MARO)

横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

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