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神様は「命令」や「取引」に応じる方ではありません。【聖書からよもやま話202】

主の御名をあがめます。

皆様いかがお過ごしでしょうか。MAROです。
今日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

毎回、新旧約聖書全1189章からランダムに選ばれた章を読んで、僕の心に浮かんだ事柄を、ざっくばらんに話してみようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧約聖書、   エゼキエル書の20章です。それではよろしくどうぞ。

◆エゼキエル書 20章3節

わたしは決してあなたがたの求めに応じない
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

「神様は私の願いを叶えてくれる存在だし、そうであるべきだ」と考えている人が世の中には多いように思います。そしてクリスチャンにもそういう考え方の人はいます。しかし、そういう人は自分の願いが叶わないと「やっぱり神様なんていないんだ!」なんて言ったりします。それは本当に信仰だと言えるでしょうか。

子どもが親におねだりをして、それが聞かれなかったからと言って「パパとママなんていないんだ!」なんて言ったらおかしいですし「パパもママもいらない!」なんて言ったら叱られますよね。でも同じことを人間はついつい神様にしてしまうんです。

神様がこの箇所で「あなたがたの求めに応じない」と言ったのには理由があります。それは簡単に言えば人間が神様の言いつけをちっとも守らなかったからです。「普段ちっとも言うこと聞かないくせに、都合のいい時だけおねだりしたってダメだよ!」ってことです。
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人間はついつい「神というものは人間のために存在する」と考えてしまいます。そこから「人間の役に立たない神は要らないし、人間に都合の悪い神も要らない」という結論に至りがちです。神社に行ってお願い事をしてそれが叶えば「ここはご利益のある良い神社だ」と、叶わなければ「ここはご利益のないダメな神社だ」と「神様」を評価したりします。クリスチャンだって自分の祈りが聞かれないと「やっぱり神様はいないのかな」とか「神様は僕を見放したんだ」とか勝手に神様を判断したりしがちです。でも、人間は神様を評価したり判断したりするほど偉くありません。

神様にお願いすると言いながら、実は慇懃無礼に神様に「命令」していることはありませんか?「叶えてくれたら信じてあげるよ」なんて、神様と「取引」していることはありませんか?「これだけあなたに捧げますから願いを叶えてください」なんて「交換条件」を提示していることはありませんか?そんな「命令」や「取引」や「交換条件」に神様は応じる方ではありません。まして自分勝手なご都合主義の「単なるわがまま」に応じる方でもありません。

・・・しかし、とはいえ分かっていてもいつの間にやらそれをやってしまうのが人の罪の恐ろしいところ。僕だって正直なところ無意識のうちに「命令」「取引」「交換条件」をやってしまっていることがあります。それでも自分のそんな心に気づくことが罪から離れる第一歩ですから、めげずに進もうと思います。

それではまた明日。

主にありて。
MAROでした。

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横坂剛比古(MARO)

横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

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