クリスチャンはお酒を飲んでもいいの?ダメなの?【聖書からよもやま話22】

皆様いかがお過ごしでしょうか。金曜日がやってきました。明日から長めのお盆休み!という方もいらっしゃるかもしれませんね。今日も日刊キリスト新聞クリスチャンプレスをご覧いただきありがとうございます。

毎回、新旧約聖書全1189章からランダムに選ばれた章から心に浮かんだ事柄を、皆様の役に立つ立たないは気にせずに話してみようという【聖書からよもやま話】、今日は 新約聖書、ヨハネの福音書の2章です。それではよろしくどうぞ。

◆ヨハネの福音書 2章7〜9節

イエスは給仕の者たちに言われた。「水がめを水でいっぱいにしなさい。」彼らは水がめを縁までいっぱいにした。イエスは彼らに言われた。「さぁ、それを汲んで、宴会の世話役のところに持って行きなさい。」彼らは持って行った。宴会の世話役は、すでにぶどう酒になっていたその水を味見した。


有名な「カナの婚礼」というシーンの一部ですが、これはイエス様が公生涯の最初に行った奇跡だと言われています。「イエス様が最初に行った奇跡は酒造りだった!」と、お酒好きなクリスチャンには非常によく引用される箇所です。

しかし、だからと言って「イエス様だってお酒を造ったのだからガブガブ好きなだけ飲んでいいのだ!」ということではありません。たしかにお酒を飲むこと自体は聖書では禁じられていません。イエス様がお酒を飲むシーンもたくさんあります。しかし一方で「ぶどう酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。むしろ、御霊に満たされなさい(エペソ5:18)」とも書いてあります。

ここからは完全に僕の個人的な考えですけれど、イエス様がお酒を造ったのは婚礼という祝いの場です。そこでぶどう酒を造ったのは「祝福が途絶えること」を避けたのかもしれません。単純に「みんな飲んでおおいに酔おうぜ!」という意味ではないように思います。ただ一方で、イエス様は「大食らいの大酒飲み」と揶揄されるくらい、お酒を飲みもしたそうです。しかしそれも「人と共に喜ぶ」「人と同じ目線で触れ合う」ということのためかもしれません。

結局どっちだよ!?クリスチャンはお酒を飲んでもいいの?ダメなの?はっきりしろ!

なんて言われてしまいそうですが、まず間違いないことはお酒に飲まれて我を失ったり、お酒に依存してしまうことはよくないということです。お酒は様々な失敗のもとにもなります。でもではお酒は悪いものなのかと言えば、必ずしもそんなこともないと思います。神様がつくったものに悪いものはないからです。

結局は「お酒は飲んでもほどほどに」という月並みな結論になるのかもしれませんね。

僕は個人的には祖父(クリスチャンではありませんでしたが)からの「機嫌の悪い時には飲むな。飲むなら機嫌よくしていろ」という言いつけを守ることにしています。つまりお酒は、喜ぶときや、人と喜びを共にするときに飲むもの、ということにしています。メインディッシュはあくまで喜びであって、お酒がメインになってしまうことは避けようと思っています。お酒はあくまで喜びに花を添えるもの。

・・・とか言いつつ、一人で何となく晩酌してしまうことも多々あるんですけど。でも機嫌悪く飲むことだけは避けるようにしています。やけ酒とか、ぐち酒とか、からみ酒とかそういうのはどう考えてもよくないですし、自分でもちっとも幸せじゃないですからね。

それではまた。
主にありて。MAROでした。

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