月は自分で光らないからこそ美しい【聖書からよもやま話463】

主の御名をあがめます。

皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧約聖書、イザヤ書の50章です。よろしくどうぞ。

イザヤ書 50章10節

闇の中を歩くのに光を持たない人は、
主の御名に信頼し、自分の神に拠り頼め。

(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

近頃、毎晩10時くらいになったら部屋の照明を消して、小さな灯りだけで生活するようにしています。その方がしっかりと「夜」を感じられてよく眠れるからです。部屋を暗くして生活してみると、部屋を明るくしている時よりも「光」をよく感じます。明るい部屋では当たり前すぎて気づかない「光」に意識を向けることができます。そしてその「光」によって、一日の疲れが癒されるんです。明るいまんまの部屋ではその癒しは得られません。

現代社会はよく闇にたとえられます。良いことよりも悪いことが多い。今日よりも明日の方が良くない気がする。先のことが見えない。そんな闇の中を生きている人は多いのではないでしょうか。光に満たされて順風満帆!という人の方がずっと少ないのではないでしょうか。世の誰もがそれぞれの闇の中を生きていると言って過言ではないと思います。

神様はご自身を「世の光」であるとおっしゃるのに、どうして僕たちをこんな闇の中に放り込んでおくのでしょう。もっと光に満たしてくれたって良いのに。でも、光は闇の中でこそ輝くものです。闇の中でこそ僕たちは光を求めます。花火だってイルミネーションだって、暗いところで楽しむものです。白昼の明るい中で楽しむ人はいません。誕生日ケーキのロウソクを消す時だって、多くの人は他の照明を消すでしょう。それはロウソクの光を満喫するためです。

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UnsplashGanapathy Kumarが撮影した写真

人は自分で光ることはできません。月のようなものです。神様の光を身に受けて光るものです。「いや、人間は人間自身で光る!」と思う方もいるかもしれません。それはそれで否定しませんが、少なくとも「自分では光れない」と自信を持てない方が世にたくさんいることはたしかです。そんな人は、月のように輝けばいいんです。月は自分では光れませんが、しかし世に月ほど美しいものもなかなかありません。「闇の中を歩くのに光を持たない人」とはこういう人のことです。そんな人こそ、神様の光に照らされて月のように美しく輝くんです。

自分で光れるならきっと周りはいつも明るいことでしょう。でも明るい中では光は輝きません。月のように、夜の暗闇の中で光る光こそ、美しいものです。美しくあるために、美しく生きるために、自分で光る必要はありません。むしろ「光を持たない人」こそが、神様によって月のような光を得るんです。

それではまた。

主にありて。
MAROでした。

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横坂剛比古(MARO)

横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

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