人は誰しも、ごはんをくれる人が好き。【聖書からよもやま話298】

主の御名をあがめます。

皆様いかがお過ごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は  旧約聖書、ミカ書の3章です。よろしくどうぞ。

ミカ書 3章5節

彼らはわたしの民を惑わし、
かむ物が歯にあれば
『平和があるように』と叫ぶが、
口に何も与えない者には
聖戦を布告する。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

ここには偽預言者の特徴について記されています。「かむ物が歯にあれば」つまり食べ物やお金などを満たしてくれる相手には「平和があるように」とか、何かと信仰深いっぽいことを言ったりやったりしますが、そういった実利を与えてくれない相手のことは敵とみなして攻撃する、そんな特徴が偽預言者にはあるのだと、聖書は僕たちに伝えています。

現代社会にもそんな人はたくさんいます。しかし「あー、いるいる、そんな人。いやだねー」なんて言って流していい問題ではありません、これは。なぜなら自分もまた、このような性質を少なからず持っているからです。僕ももちろんそうです。たぶん人一倍そうです。そしてこういう性質を少しも持っていないという人は古今東西イエス様以外には一人もいないのではないでしょうか。

どんなに「僕は神様に従って、神様の御用のために生きるのだ」と張り切ってみても、僕たちはどうしてもお腹が空きます。お腹が空けば機嫌が悪くなりますし、そこに食べ物をくれる人がいれば、その人に愛想を振りまきたくなります。また現代社会の僕たちはお金なしには生きることができません。贅沢をしたいとまでは思わなくても、お金が少なくなって先行きが不安になれば機嫌が悪くなりますし、そこに経済的な安定を与えてくれる人が現れれば愛想を振りまきたくなります。それは自然なことです。
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しかし神様はそれではいけないと言います。ごはんをくれる人にもくれない人にも等しく機嫌良く接することはもちろんですが、時には出されたごはんを断って空腹に耐えながらでも、正しいこと、つまり神様に御用をなさなければならないと言います。これはとても厳しい教えです。そう簡単にできることではありません。明日の食べ物がないこと、明日のお金がないこと、これは人間にとって恐ろしいことです。人間は常にその恐怖から解放されたいと願うものです。しかし本当の幸せはそこから安易に解放されることではなく、それと向き合って、耐え忍ぶところにこそあり、そして結果的にはそれが本当の解放へと至るのかと思います。

「世の価値」と「天の価値」。僕たちはつい「世の価値」を追い求めてしまいます。「天の価値」を知っているはずのクリスチャンでさえ、そうです。でも人間がそんな存在であることを知っていてくださるからこそ、神様はこうして「それじゃダメだよ」というメッセージを下さっているわけです。ですから、すぐには「世の価値」を捨てられなくても、まずは「自分が世の価値を追い求めてしまいがちな者である」ことをまっすぐに認めることが肝要なのかと思います。自分の罪ある姿を認めるところから、罪からの解放ははじまるのかと思います。

それではまた明日。

主にありて。
MAROでした。

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横坂剛比古(MARO)

横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

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