体は食べたものでできる。心はふれたことばでできる。【聖書からよもやま話121】

主の御名をあがめます。

今日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。MAROです。

新旧約聖書全1189章からランダムに選ばれた章を読んで、僕の心に浮かんだ事柄を、ざっくばらんに話してみようという【聖書からよもやま話】、今日は 新約聖書、マタイの福音書の4章です。それではよろしくどうぞ。


◆マタイの福音書 4章4節

「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる』と書いてある。」(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)


人は毎日食事をしなければ生きていけません。食べたものが肉体をつくります。今、僕たちが持っている肉体は、今日までに食べたものでできています。だから毎日食べるものには気をつけなくてはいけません。毎日きちんと食べなくてはいけません。

・・・と、いうことに異論のある方は少ないと思います。

が、これが肉体ではなく、心の問題になるとどうでしょう。肉体は日々食べるものでできていますが、心は何でできているのでしょう。心は日々触れることばでできています。読むことば、聞くことばはもちろん、自分で自分にかけることばも、自分の心をつくります。ジャンクな食べ物ばかりを食べていたら肉体の健康が損なわれるように、ジャンクなことばばかりを浴びていたら心の健康が損なわれてしまいます。そして残念な事に現代社会はジャンクなことばに溢れています。罵詈雑言、誹謗中傷、下品な冗談、マウンティング、イヤミ・・・あげればキリがありません。そんなことばを毎日浴びていたら、心の健康は崩れてしまいます。

神様はそんなわけで「毎日パンを食べるのと同じように、毎日聖書に触れて祈りなさい」と勧めています。日々神様とコミュニケーションをとることは、食事と同じくらい、いやそれ以上に大切なことなんです。

でもついつい現代人は、肉体の健康ばかりに気を取られて、心の健康をおろそかにしてしまいがちです。

「1日くらい食べなくても死なない」はい、僕もそんな風に食事をおろそかにしてしまうことがあります。確かに死にはしません。が、確実に体には負担が及びます。「1日くらい祈らなくても死なない」はい、僕もそんな風に祈りをおろそかにしてしまうことがあります。確かに死にはしません。が、確実に心には負担が及ぶんです。

毎日きちんと食事をするのと同じように、毎日きちんと祈りたいと思います。
時にはできないこともある。それでも心がけることが大切なのだと思います。
この新年に、肉体と心をつくりあげる「パンとことば」を、あらためて丁寧に扱おうと心を新たにしているところです。

それではまた。

主にありて。
MAROでした。

【今日の小ネタ】
「クリスチャンってお雑煮とかおせちとか食べるの?」って時々聞かれますが、普通に食べます。餅つきをやる教会もあります。でも締飾りとか門松とかは飾りません。

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横坂剛比古(MARO)

横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

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