主の御名をあがめます。
皆様いかがお過ごしでしょうか。MAROです。
今日もクリプレにおこしいただきありがとうございます。
毎回、新旧約聖書全1189章からランダムに選ばれた章を読んで、僕の心に浮かんだ事柄を、ざっくばらんに話してみようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧約聖書、 士師記の15章です。それではよろしくどうぞ。
◆士師記 15章4節
それからサムソンは出ていって、ジャッカルを三百匹捕らえた。そして、たいまつを取り、尾と尾をつなぎ合わせて、二本の尾の間にそれぞれ一本のたいまつをくくり付けた。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)
今日の箇所は聖書界No.1の力持ち、豪傑サムソンの話です。豪傑といえば「気は優しくて力持ち」なイメージがありますが、しかしサムソンはちょっとお世辞にも「気が優しい」とは言えない性格をしています。わがままだし乱暴だし、はっきり言って近くにいたら困るタイプの人です。しかし、そんな人を神様は士師、つまりイスラエルの民の指導者として20年も働かせました。神様に用いられるのは「人格が素晴らしいから」とか「頭が良いから」とか、そんな人間の尺度の理由によるのではないんです。時にこうして「なんでこの人を?」という人が用いられたりします。「時に」というか、割としょっちゅうです。
この、ジャッカルを300匹捕まえてそのしっぽを結びつけた、というエピソードは、これだけを見ればただの豪傑譚ですが、次の節を読むと、しっぽに火をつけたジャッカルを敵であったペリシテ人の畑に放って焼き払ったと書いてあります。いくら相手が敵とはいえ、なんてことをするんですかサムソンさん。このほかにも色々と、とにかくトラブルメイカーなんです、この方は。
ところで、ジャッカルを300匹捕まえるのって、ちょっと調べてみましたら思った以上に大変そうです。もちろん野生の肉食獣ですから、純粋に彼らが強いというのも大変なことなのですが、とはいえジャッカルの体重はせいぜい15kgくらいですから、我々一般人には厳しくてもサムソンくらいの豪傑になら何とかなるでしょう。しかし、それよりもおそらくずっと困難なのは、そもそも300匹のジャッカルを見つけること自体です。ジャッカルは大きな群れをなして行動する動物ではなく、せいぜい5〜6匹の群れしか構成しないのだそうです。はい、ということは、一つの群れで6匹としても、50の群れを見つけなくては300匹は捕まえられません。
この「ジャッカル」という言葉を別訳では「キツネ」と訳したりもするそうですが、これがキツネだとしても話は変わりません。キツネも大きな群れを構成することはなく、行動をともにするのはせいぜい5〜6匹です。基本的に肉食獣って、大きな群れを構成することはありません。
・・・と、いうことは、そもそもサムソンのところに300匹ものジャッカルかキツネが集まったこと自体が奇跡です。そんなことはサムソン自身にはできませんから、そこは神様の力が働いたということでしょう。300匹のジャッカルを捕まえたサムソンの怪力も確かにすごいけど、そこに300匹のジャッカルを集めた神様の奇跡はもっとすごい。
もしかしたら、どんな豪傑の豪傑譚も、その豪傑の豪傑たるゆえんの豪傑っぷりだけでは成立しないのかもしれません。どんな人でも自分の力だけでは何事も成し遂げることはできません。そこには神の力の介入が常に必要です。「自分の力で成し遂げた!」と思っていることも本当は神様が、サムソンの前に300匹のジャッカルを集めたように、お膳立てをしてくれていたのかもしれません。
それではまた。
主にありて。
MAROでした。
【今日の小ネタ】
キツネの肉はかなり臭くてあんまりおいしくないのだそうです。
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