主の御名をあがめます。
皆様いかがお過ごしでしょうか。MAROです。
今日もクリプレにおこしいただきありがとうございます。
毎回、新旧約聖書全1189章からランダムに選ばれた章を読んで、僕の心に浮かんだ事柄を、ざっくばらんに話してみようという【聖書からよもやま話】、今日は 新約聖書、ヘブル人への手紙の6章です。それではよろしくどうぞ。
◆ヘブル人への手紙 6章2節
基礎的なことをもう一度やり直したりしないようにしましょう。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)
「どんなに上達しても基礎の反復練習を繰り返すこそ大事である」と多くの方が、学校や部活などの場で教えられたのではないでしょうか。しかし聖書はなんと、その反対とも思えることをここで述べています。「基礎的なことを繰り返すな!」と。ちょっと驚きます。「え?だめなの?」って思います。基礎を粗末にすることはどんな道においても良くないんじゃないの?って。
実はこの箇所の続きには「神が許されるなら先に進みましょう」と書いてあるんです。ですからこの「基礎的なことを繰り返すな!」の意味は、「次に進むべき時が来ているのに、いつまでも同じことばかりをしていてはいけないよ」ということです。さらに、この箇所の前には、現代風に要約するなら「君たちはいつまで離乳食を食べているんだ!ちゃんと固いものも食べられるようになりなさい!」といったことが書いてあります。たしかに離乳食は「食事の初歩」と言えるかもしれませんが、いつまでもそればっかり食べ続けていたらいけませんよね。
僕たちは時として、いつまでも離乳食を食べていることがあります。キリスト教を学ぶにしても、最初は「神様の愛」を学びます。それは耳に心地よく、受け入れやすいものです。しかし、いつまでもそれだけではいけません。聖書には耳に痛いこともたくさん書いてありますし、さらにはそれを生活の一部として実践できるようにならなくてはなりません。そこには当然、厳しさも伴います。でも、その厳しさを避けて、耳に心地よい「神様の愛」だけを繰り返し受け取ってしまうということが、クリスチャンにはあるのではないでしょうか。はい、少なくとも僕にはあります。
小学生の算数だって、いくら基礎が大切と言っても、いつまでもたし算ひき算ばかりをやっていてはいけません。それをマスターしたらかけ算やわり算、小数や分数に進まなくてはいけません。そしてやがて、たし算ひき算の練習は必要なくなります。練習しなくても体に染みつくまでになっているからです。
家を建てるのに土台は大切ですが、いつまでも土台作りばかりをしていても仕方ありません。人にとって意味があるのは土台ではなく、その上にたつ家なんですから。人は家の中で生活するのであって、いくらしっかりした土台でも、土台の中で生活することはできませんから。
基礎は大切ですが、基礎は応用するためにあるのであって、基礎が目的になってしまってはいけません。基礎をやらずに応用をやってしまうのもダメですが、応用に進まずに基礎だけをやってしまうのもダメなんです。基礎と応用は車の両輪、バランスが悪いと同じところをぐるぐる回ってしまって、前に進むことができません。
クリスチャンにとっては、聖書を読むことと、それを実践することになるかもしれません。神様の愛と、神様の厳しさになるかもしれません。いずれにせよ、そのバランスがとれなくては、信仰も前に進まないということです。
それではまた。
主にありて。
MAROでした。
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