「コロナ」を増やすも減らすも権力者の手には負えません【聖書からよもやま話63】

皆様いかがお過ごしでしょうか。MAROです。今日も日刊キリスト新聞クリスチャンプレスをご覧いただきありがとうございます。

毎回、新旧約聖書全1189章からランダムに選ばれた章を読んで、僕の心に浮かんだ事柄を、ざっくばらんに話してみようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧約聖書、ゼカリヤ書の4章です。それではよろしくどうぞ。


◆ゼカリヤ書 4章6節

『権力によらず、能力によらず、私の霊によって』(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

現代社会の人の世に、重視されるのは権力と能力ばかり。もちろん、能力はひとそれぞれに必要なものですし、権力はそれを束ねるために必要なものですから、必ずしも悪いものではありません。しかし、よくよく考えてみれば、僕たちの人生に最も多大な影響を与えるのは、誰かの能力でも、誰かの権力でもありません。

たとえば、新型コロナウイルス。これは僕たちの人生に多大な影響を与えましたけれど、これは誰かの能力とか、どこかの政府の権力とかによって、もたらされたものではありません。ウイルスの感染者数はここ数週間で激減しましたけれど、これも誰かの能力だとか、政府の権力だとかで減ったのだとは言えません。

現代社会に生きていると、ついつい、あらゆるものは誰かの能力とか権力とかで動かし得るのだと思ってしまいがちですが、実はよくよく観察してみると、誰の能力でも権力でも動かし難いものが世にはたくさんあります。政治と密接な因果関係があるように見える経済指標でさえ、政治権力者の手に負えるものではなくなっています。

どんなに優れた能力をもってしても、どんなに巨大な権力をもってしても、如何ともしがたい事柄に囲まれて、実は社会は動いているんです。

ですから、あらゆることの責任を、個人の能力や、政府の権力のせいにするというのは、ちょっと無理があるんです。

アメリカ留学時代、とあるピアノコンサートの間に、新しい大統領が決まりました。その時、ピアノストは立ち上がってこう言いました。「この大統領選の結果に喜ぶ人も、悲しむ人もどちらもいるでしょう。でも、僕たちを幸せにできるのは、共和党でも民主党でも、どんなに優れた大統領でもなく、僕たち自身です。これから幸せになる皆さんのために、これから一曲弾きます」その曲はとても素晴らしくて、共和党支持者も民主党支持者も関係なしに、みんなでスタンディングオベーションしました。

大統領でも総理大臣でも、「権力」というのはやたら大きく見えます。でも実は「権力」で動かせる範囲は意外と小さくて、「権力」にもどうにもできない「神の領域」が世界には溢れているんです。

それではまた。
主にありて。
MAROでした。


Related Posts

横坂剛比古(MARO)

横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

この記事もおすすめ