“日本にもチャプレンが必要です” 後編 【関野和寛のチャプレン奮闘記】第7回

電車を乗り継ぎ8時間かけて駅に到着すると、医師が迎えにきてくれた。直接会うのは初めての同世代の医師。海外から日本の離島経験もある同医師の中に、静かに燃えるパッションを瞬時に感じた。このような出会いでは、名刺など交換したりする必要はなく、不思議と通じ合える気がする。

患者さんの家に行くまでの間に、医師がこれまでの状況を教えてくれた。中年男性の患者さんは、ガンの末期ではあったが、気丈に振る舞い生活をしていた。けれども突如、何の前触れもなく自死を試みてしまったとのこと。アメリカの病院で同じような状況にある人々への対応は何度も経験してきた。けれどもここはチャプレンの普及していない日本、しかも患者さんだって、まだ混乱と動揺の中にいるはず。そのような中に、いきなり牧師がやってきて受け入れてくれるかさえ分からない。

何の自信もない。けれども行くしかない。この場に呼んでもらったのだから。「うまくやろう」などという考えはすべて捨て、患者さんの部屋に入る。「はじめまして。病院や施設を回って患者さんたちのお悩みなどを聴かせていただくチャプレンという仕事をしています、関野と申します。よろしかったら、少しだけお話を聴かせていただいてもよろしいでしょうか?」と伝えると「うん」と患者さんはうなづき、話をし始めてくれた。

同室の隅には訪問看護師がいた。何かあった時のため、またいきなり実態のまだ分からないチャプレンが来るわけだから、見守っていなければなかったのだと思う。このことがまたプレッシャーになった。けれども、そのプレッシャーは私が勝手に感じているだけ。目の前の患者さんとは関係ない。彼が私を迎え入れてくれ、話を聞かせてくれようとしているのだ。自分の心が、大きくて柔らかいガーゼタオルになるようにとイメージし、身体全体を耳にして彼の声に集中する。

「私はさ、自分でビジネスを立ち上げ上場するところまでいったんだ。けれどもだ、経営が傾いてきて、投資に失敗して負債を負ってしまったんだ。人って残酷だよね……。良い時は近寄ってくるけど、失敗すると皆離れていくんだ。社員は皆離れていった。それだけじゃなく、家族も私から離れていった。まあね、家庭を顧みなかった私も悪いんだけどね」「そんな中でこの病気でしょう。仕事の失敗のことや家族のことは人には話さず、がんばってきたけど。お正月を迎えたら、急に自分が本当にひとりぼっちだと感じて、もう何もかも投げ出したくなって、ああしてしまったんだ……」と彼はこれまでのこと、そしてずっと抱えていた孤独な思いを話してくれた。

私はただただ聞いていた。「それでも生きる意味がある」「もう死のうとなんてしないでください」などの言葉など当然言わず、最後まで黙って彼の目を見て、うなづき、聞いていた。すると、彼がポツリと「なんだかさ、あんたには全部話せる気がしたよ」と言ってくれた。最大限の言葉に「私があなただったら私ももう生きていたくないです。それほど苦しんでおられることが伝わってきました。でも、今日こうやってお会いできたことをとても感謝していますし、できたらまたお会いしたいです」と返した。すると彼は、「ありがとう、あんたに話してちょっと楽になったよ」と言ってくれた。

家を出ると医師が待っていてくれて、「どうでしたか?」と尋ねる。すると1時間、何も言わずに同席してくれていた訪問看護師が「必要な仕事です。彼にはチャプレンが必要ですね」と言ってくれたのだ。すると医師は「来週から来てください」と私を雇ってくれたのだ。こうして、ほぼ前例のない一般のクリニックのチャプレンとしての私の働きが始まった。牧師だとか、アメリカでチャプレンをしていたとか、そのような肩書きはもうここでは要らない。この日、患者さんが言ってくれた「あんた」になるのだ。ただただ、誰かのための「あんた」になっていくのみなのだ。

*個人情報保護の為にエピソードは再構成されています。

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