NHK大河ドラマ「麒麟がくる」とキリスト教(5)細川ガラシャと夫・忠興との危うい関係 その1

NHK大河ドラマ「麒麟(きりん)がくる」(総合、日曜午後8時ほか)で27日から、いよいよ芦田愛菜(あしだ・まな)演じる細川ガラシャこと明智たまが登場する。

その夫となる細川忠興(ただおき)は、同局の連続テレビ小説「エール」で福島・川俣銀行の行員を好演した望月歩(もちづき・あゆむ)がキャスティングされた。この二人の夫婦関係について、実際の歴史文書ではどう書かれているのか、見ていきたい。

勝龍寺城跡の細川忠興・玉(ガラシャ)像(写真:服部由愛)

明智光秀(長谷川博己)の次女たまは細川忠興と1578年、15歳同士で結婚する。それは主君である織田信長(染谷将太)の命令によるものだった。

信長は、まだ年若いのに勇敢に戦って戦功を上げる忠興を気に入っており、小姓(信長のそば近くで仕える少年)に取り立てていた。「忠興」の「忠」は、信長の長男である信忠から与えられたものだ。肥後熊本藩主細川氏の家史「細川家記」所収の信長自身の書状に次のように書かれている。何より忠興は器量に秀(ひい)で、勝つことに対する志も抜きん出ているので、ゆくゆくは「武門の棟梁(とうりょう)」にもなるべき器だと。

また、ガラシャの父親である光秀についても、信長はその知謀を褒(ほ)め、軍功を高く評価していた。そのため、細川家(山城の勝竜寺城)と明智家(近江の坂本城)は隣国同士でもあり、互いに剛勇でも並んでいるので、幸せな縁戚関係を結べるだろうと、同じ書状で信長は述べているのだ。

細川忠興(永青文庫所の肖像画)

結婚後、忠興は信長に従って出陣に明け暮れる日々を送り、ガラシャは細川家の居城である勝竜寺城を切り盛りしていた。それは現在の京都府長岡京市にあり、ガラシャが子ども時代を過ごした福井から南西に150キロ以上離れたところにある。勝竜寺城で過ごした新婚時代は2年間にすぎないが、その間に二人の子どもを授かっている。長女の長(ちょう)と長男の忠隆(ただたか)だ。

1580年、17歳になった忠興は、信長から丹後12万石を与えられ、父から独立した大名となる。そして、丹後八幡山城(たんごはちまんやまじょう)に入り、その後、新たに宮津城(みやづじょう)を海沿いに築いて、そこに移る。勝竜寺城から北西に100キロ以上の、日本海にある天橋立(あまのはしだて)の近くにある。その間も忠興はさまざまな合戦に出ることが多く、ガラシャも幼い長と忠隆の世話をしながら城を取り仕切っていた。

宣教師フロイスは1587年のガラシャの受洗について詳述した記事の冒頭で、ガラシャのことをこのように紹介している。

都の近くに丹後と呼ばれる国がある。その領主は(細川)越中(忠興)殿と称する若く高貴な殿で、明智(光秀)の息女である貴婦人と結婚している。彼女の父の明智(光秀)は、その(丹後の)国に娘を嫁がせた(のだが)、両人は(ガラシャが洗礼を受けた時には)24、5歳を出るか出ないかの年輩である。(フロイス『日本史』5巻、219ページ、中央公論社)

さて、夫の忠興も父の光秀も信長の家臣として励んで働いていたのだが、82年、毛利氏が牛耳る「中国攻め」の最中、光秀が「本能寺の変」を起こして主君の信長を裏切り、亡き者にする。その報は、豊臣秀吉(佐々木蔵之介)の援軍として「中国攻め」に出陣していた忠興にももたらされ、さらに義父である光秀から「自分の味方として京に上るように」との依頼が来る。自分が「本能寺の変」を起こしたのは、信長がたびたび光秀の面目を失わせ、わがままな振る舞いばかりするので、積年の恨みを晴らしたことが理由だと『細川家記』には記されている。

しかし忠興は、父と一緒に信長を弔うために髻(もとどり)を断ち、光秀の願いに応じることはなかった。それが光秀にとって最大の誤算となり、「中国大返し」をしてきた秀吉に討ち取られることに。

こうしてガラシャの幸せだった新婚生活は4年で幕を下ろし、その後は「逆臣の娘」として苛酷な運命に翻弄(ほんろう)されることになる。忠興はガラシャに対し、「御身の父光秀は主君の敵なれハ、同室叶うへからす」(「細川家記」)と言って離婚し、宮津城から30キロ足らず、丹後半島のほぼ中央の山深い「味土野(みどの)」に幽閉する。

味土野にある「細川忠興夫人隠棲地」の石碑(写真:服部由愛)

ガラシャは、3歳になった長や2歳の忠隆と引き離されて過ごすことになるのだが、この間に次男の興秋(おきあき)が83年に生まれている。このことからも分かるように、実は離婚というのも形ばかりで、明智一族と重臣らが滅ぼされる中で、忠興はこうすることでガラシャの身を守ったのだ。

ただしその年、忠興は側室のお藤に女の子を産ませている。そうしたことから、幸せだった新婚生活にも暗い影が落ち始め、やがて二人の間に大きな亀裂を生じさせることになるのだった。(6に続く

NHK大河ドラマ「麒麟がくる」とキリスト教(1)明智光秀はキリスト教を信じていたか

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NHK大河ドラマ「麒麟がくる」とキリスト教(5)細川ガラシャと夫・忠興との危うい関係 その1

NHK大河ドラマ「麒麟がくる」とキリスト教(6)細川ガラシャと夫・忠興との危うい関係 その2

NHK大河ドラマ「麒麟がくる」とキリスト教(7)細川ガラシャと夫・忠興との危うい関係 その3

NHK大河ドラマ「麒麟がくる」とキリスト教(8)細川ガラシャと夫・忠興との危うい関係 その4

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NHK大河ドラマ「麒麟がくる」とキリスト教(13)細川ガラシャに洗礼を授けた侍女・清原マリアの道備え その2

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雑賀 信行

雑賀 信行

カトリック八王子教会(東京都八王子市)会員。日本同盟基督教団・西大寺キリスト教会(岡山市)で受洗。1965年、兵庫県生まれ。関西学院大学社会学部卒業。90年代、いのちのことば社で「いのちのことば」「百万人の福音」の編集責任者を務め、新教出版社を経て、雜賀編集工房として独立。

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