パンデミックに沈む街に差し込むイエスの光(2)

(前記事から続く)

幻の自分と、本当の神の姿
[toggle]Still, in the spirit of incarnational humility, Jesus insisted we each must take up our own cross to follow him. Loss is the sure way to real life. But human pride—a viral vice—fiercely pushes back against crosses by asserting autonomy and control. Pride refuses to concede to mere humanity with its limitation and brokenness, toiling instead to construct a fake front of godlike sovereignty—independent, detached, and fully in charge. Psychologist Richard Beck labels this “the dark and pathological side” of American success. We labor for material and emotional self-sufficiency so as to eliminate every trace of vulnerability. We strive to be like a God who does not actually exist.

The real God born to us at Christmas—whom we worship—took on a real human body, one subject to aging and genetic error, sagging flesh and diminished sight, clogged arteries, declining memory, and death. And the Incarnation occurred amid disparate poverty and scandal, oppression and uncertainty. Jesus cried as a baby and navigated adolescence. [/toggle]

人としてへりくだったイエスは、自らの十字架を背負って彼に従うよう、私たち一人ひとりに語った。

真の命は、私たちが自分の命を差し出した先に確かに待ち受けている。
しかし人は驕(おご)り高ぶるあまり独立心と支配欲にしがみつき、十字架に激しく抵抗する。
そのプライドは、私たちが限界性と破れを抱えた人間であることを認めることを許さず、あたかも自分が一人で外からの影響も受けずに自立し、すべての責任を負っている神のように振る舞わせる。

しかし私たちに神のような主権があるかのような振る舞いはハリボテにすぎないし、それはただの強がりだ。
そのようなおごり高ぶりは私たちの命を脅かす危険分子だ。 心理学者のリチャード・ベックはこれを、繁栄を極めたアメリカの持つ「暗くて病理的な側面」と呼ぶ。
私たちは自分たちの弱さが残すあらゆる痕跡を消し去ろうと、モノやココロを満たす努力に奔走(ほんそう)する。そのようにして私たちは、「神」になろうと必死になるが、それはただの幻想に過ぎない。

私たちが従う本当の神は、クリスマスに肉体として私たちの間に生まれることを選んだ。
それは老化や遺伝異常、肉のたるみや視力の低下、動脈の詰まり、記憶力の低下、そして死という運命を持つ現実的な肉体だ。
そしてその受肉は、あらゆる貧困や騒動、抑圧があり、先行きの見えない世界のただ中で起こった。

イエスの人間性と、クリスマスの本当の意味
[toggle]He lived a righteous life and died an unjust death for us, wearing a crown of thorns—which recent preachers note resembled the coronavirus (corona comes from the Latin, meaning crown).
Christmas humanity in all its indignity anticipates the resurrection of the body, but even resurrected Jesus still bears his scars (John 20:27). Christians believe in Jesus as fully God and fully human, and nowhere is full humanity more manifest than in dying. The forces of decrepitude and decay, always at work in us, constantly bear witness to our neediness.
As we confine ourselves this Christmas, let us do so with a renewed awareness of the incarnational limits we celebrate in Jesus, who did not consider equality with God as something to exploit (Phil. 2:6). Let this awareness fuel our prayerful, active concern for fellow Christians and others worldwide threatened and thwarted by this pandemic. Every Christmas season decries its own commercialization and seeks to re-ground itself in true meaning. If losing our lives and our comfortable lifestyles opens us up to the true humanity we share with the least and the last and the lost around the world, and thereby meaningfully reconnects us to each other, then I say Merry Christmas. [/toggle]

赤ん坊のイエスは泣き声を上げながら育ち、思春期を過ごした。
その後、正しい生活を送った彼は、いばらの冠を頭にはめられ、私たちのために不当な死を遂げた。
最近は、ラテン語で「冠」という意味を持つコロナのことを、茨の冠になぞらえる説教者もいる。

クリスマスが伝える人間味、そしてその後の侮辱はすべて復活の出来事へとつながるものだが、復活したイエスはなお傷を負ったままだった。

「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」(ヨハネ20章27節)

クリスチャンはイエスを「完全に神であり、同時に完全に人間である」存在として信じている。死は、イエスが一人の人間であったことを示す何よりの証左だ。
そして老化と死へと向かう体を持ち、その流れに抗えない私たちの姿は、私たちが「何かを頼りにしなくては生きていけない」ということを証(あか)ししている。

閉ざされた家の中で迎える今年のクリスマス、私たちはイエスが限界をもつ肉体として生まれたことを喜び祝いたいと思う。イエスは、自らが持つ神と同等の地位を悪用しようとは考えなかった。

キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、 かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。(ピリピ2章6-7節)

私たちはこのことを認識し、このパンデミックによって脅しつけられ、動けないでいる世界中のクリスチャンや他の人々にために祈り、そのことに積極的に関心を持つものとなりたいと思う。

毎年この季節になると、クリスマスを商業利用し、その本当の起源を見失わせようとする流れに街は埋め尽くされる。
しかし私たちは、自分の人生や快適なライフスタイルを差し出すことで真の人間性に目覚め、この世で最も小さくされ、忘れ去られ、失われようとしている人々とそれを共有し、その人々とのつながりを再び見出すよう招かれている。

だからこそ私は言うのだ。「メリークリスマス(クリスマスを喜ぼう)」、と。

(終)

執筆者のダニエル・ハレルはクリスチャニティ・トゥデイの編集者。
本記事は「クリスチャニティー・トゥデイ」(米国)より翻訳、転載しました。翻訳にあたって、多少の編集・省略をしています。
出典URLhttps://www.christianitytoday.com/ct/2020/december/pandemic-coronavirus-covid-19-jesus-is-light-of-lockdown.html

原口 建

原口 建

バプテスト派。オーストリア・カナダに留学経験を持つ。大学の専攻は仏文学。

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