以前、「嫌いな賛美歌」の話を書きました。本日は、「こどもさんびか」3曲にかんする短い考察を書きます。
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私の好きな「こどもさんびか」の3節に、以下のようにあります。
よいこになれない私でも
神様は愛してくださるって
イエス様のお言葉
私はこれを一歩、進めて、以下のように歌いたいのです。
よいこになれない私こそ
神様は愛してくださるって
イエス様のお言葉
そう! よいこになれない私「こそ」! ちなみに、この賛美歌の注解をチラ見したことがあります。おおよそ以下のようにありました(記憶で書いてすみません)。
「『こどもさんびか』には珍しく、罪の悔い改めを歌った歌です」
これには、がっかりしましたね。この歌は、罪の悔い改めを歌った歌なんかじゃない。なんか、もっと、途方もない安心感を歌った歌です!
以下のような「こどもさんびか」もあります。
生まれる前から 神様に
守られてきた 友だちの
誕生日です、おめでとう。
生まれて今日まで みんなから
愛されてきた 友だちの
誕生日です、おめでとう。
この歌は20年以上前に、ある浄土真宗のお坊さんの掲示板で紹介したら、皆さんに「こんな歌を歌ってもらって祝福してもらえる子どもは幸せだね」と感激してもらったのですが、最近、あるご婦人に「この『生まれて今日までみんなから愛されて』こなかった子どもはどうするの?」と言われて、それもそうだと思いました。これはある意味で残酷な歌かもしれません。
最後に、次のような「こどもさんびか」を紹介します。
イースターの八日目に 「ぼく信じない」ってトマスが言うと
十字架で死んだ あのイエスさまが 部屋に入ってきた
これはちゃんと聖書を読まないで書いた歌詞ですね。イースターの八日目にトマスが「ぼく信じない」と言ったのではありません。トマスが「ぼく信じない」と言った八日目にイエスが再び現れたのです。そしてもっと正確に言うと、「八日目」ではなく「八日後」ですしね。子どもにウソを教えてはいけません。
そして、この「こどもさんびか」のラストに、以下のようなフレーズがあります。
ああ キリストは ほんとうによみがえったのだ
ハレルヤ ハレルヤ アーメン
この歌詞は、暗黙のうちに「キリストはほんとうはよみがえっていないかもしれない」という疑念を前提としています。なぜなら、キリストがよみがえったのがほんとうだと確信しているなら、わざわざこんなに声を張り上げて歌う必要はないからです。
以上、本日は「こどもさんびか」3曲の考察でした。
腹ぺこ 発達障害の当事者。偶然に偶然が重なってプロテスタント教会で洗礼を受ける。東京大学大学院博士課程単位取得退学。クラシック音楽オタク。好きな言葉は「見ないで信じる者は幸いである」。
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