絶えず神様に甘えましょう 【発達障害クリスチャンのつぶやき】

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「求めなさい。そうすれば与えられる」とはいうものの、世の中は、求めても与えられない、自分の思い通りにいかないことの連続です。そのことは、私自身が、身をもって証しできます。

私は病気にさえなっていなければ、学者としていい線を行っていたと思います。少なくとも同じ大学を出た仲間とひけをとらないくらいには……。まぁ、フィールズ賞(数学のノーベル賞くらいの賞)とまではいかないまでも、日本数学会なんとか賞くらいは、もらってたんじゃないかと。「世の誉れ」ですけどね。しかし、研究者になりたかったけれどなれなくて中高の教員になっている人はたくさんいます。

今まで私が学んできた数学を100とすると、中高の数学は1にも満たないので、中高の数学の教員はそれなりにやれると思っていました。年下には慕われるタイプだとも思っていたし。しかし、現実は違った。こんなに教えることが向いてないとは思わなかった。こんなに、いばらとおどろの人生を歩むとは思いませんでした。しかも定年まであと20年以上ある……。気が遠くなります。

ある高校生に、「先生って、なろうと思えば何の職業にでもなれたんですね!」と言われました。確かに、高校生からみればそうでしょうね。エンジニアにも、医者にも、薬剤師にもなれたといえばなれた。しかし、9月の連休明け、出勤したものの授業ができなかった日、妻は校長室に呼ばれ、校長から「腹ぺこ先生は、この学校でなければどこも勤まりません」とはっきり言われたそうです。たしかに自分でもそう思います。例えば私にスーパーのレジが勤まるか? 手際よく商品を整理し、おつりも間違わず、笑顔で……。どう考えても無理でしょう。力仕事全般がダメなので、漁業も農業も無理でしょう。接客業も全般に向いてないと思われます。営業もできないでしょう。かといって中高の教員も、生徒にはなめられ、授業は分かりにくく、授業は崩壊し、保護者からの不満が噴出……。これを9年半、繰り返しました。もう本当に消えてなくなりたい人生です。

しかし、それでもなお、「求めなさい。そうすれば与えられる」というみ言葉を信じるのがキリスト者です。どんな状況に置かれても、なお希望を捨てない、神様に祈り続ける、そうありたいと思って祈っています。

土居健郎(どい・たけお)の『「甘え」の構造』という名著があります。多くの日本人は、書名くらいはご存じかと思います。土居はカトリックの信徒なのですが、晩年に書いた『信仰と「甘え」』という本があります。久しぶりに読んだのですが、土居は決して「甘え」という言葉を、悪い意味で使いません。そしてこの『信仰と「甘え」』という本で著者がいちばん言いたいことは、おそらく本のいちばん最後に書いてある言葉、「お祈りは神さまにあまえること」だと確信します。

「甘え」という概念を、前からも後ろからも何十年も見てきた著者は、キリスト者が祈るのはすなわち、神への「甘え」である、と見抜いています。そして、繰り返しますが土居は「甘え」という言葉を、悪い意味で使いません。「絶えず祈りなさい」というくらいですから、「絶えず神様に甘えましょう!」なのです!

絶えず祈りましょう。神様に甘えましょう。万事が益となることを信じて……。

腹ぺこ 発達障害の当事者。偶然に偶然が重なってプロテスタント教会で洗礼を受ける。東京大学大学院博士課程単位取得退学。クラシック音楽オタク。好きな言葉は「見ないで信じる者は幸いである」。

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