学校に行けない、職場に行けない人に伝えたいこと 【発達障害クリスチャンのつぶやき】

Image by Dazai Osamu from Pixabay

 私はかつて中高の数学の教師でした。授業の時間になります。クラスに行って、出欠を取ります。だいたい、1クラスに1席ほど、「常に不在」の席があります。たいがい、机の上に椅子が逆さまに乗っています。ようするに、これは「不登校」の生徒さんの席です。その生徒さんは、いつも欠席です。授業担当者である私は、名前は強烈に覚えられますが、顔は決してわかりません。

 学年会といわれる学年の教員の会議がしばしばあります。私は担任の経験がほとんどありません(最初の年度に持たされて以来、二度と持たされませんでした。私に担任は任せられなかったのでしょう)。各担任がクラスの様子を報告します。不登校の生徒さんに関しては、多く話題に上りました。担任はいろいろがんばっているようでした。しかし、それを聞いていつも感じていたことは、暗黙のうちに「学校に来ることがよいこと」という前提で話がなされていた点です。学校に来ないから問題だったのです。その言い方(聞いているほうも)は、いつも気になっていました。

 私は中学のとき、先輩から「お前の私服は非常識だ」と言われて以来、私服では出歩けなくなりました。私服では雨戸も閉められないほど(雨戸を閉めるときは、だれかに私の私服が見られます)、極端な症状になりました。これは「不登校」とは言いませんが、しかし私服では出歩けません。制服を着ている限り出歩けた(登校もできた)ので、それほど問題にはなりませんでした。親は理解を示さないどころか責めて来ました。どこにも理解者はいませんでした。私は泣いていました。大学生になるのが恐かったです。大学には制服はないから……。これがいつ緩和したのかは覚えていません。

 大学3年のとき、「不登校」を経験しました。5月に勉強をしていて、体が固まったのです。典型的な統合失調症の症状であるようでした。学校を休み続けました。9月の試験を受けようとして、とうてい無理だと悟り、その年度はまるまる休んで1年留年しました。これ、大学生だからほとんど問題になりませんでしたが、これが中学や高校のときに起きていたら、「大問題」になっていたことでしょう(この休みの期間中、偶然に偶然が重なってキリスト教会と出会いました)。

 そして、25歳のときの大ダウン。これは2年休みました。そして、はかり知れないものを失ったことは何度も書いていますので省略します。そして、就職してからも3回のダウンを経験し、いまも1年半くらい仕事を休んでいます。私の人生は、休みだらけです。

 話を戻しますと、学校の教師って、「学校大好き! 先生大好き!」という人がなることが多いと考えられますので、私のような「教育の裏側」「人生の裏側」ばかり見てきた人間はあまりいないのでしょう。私は20:80くらいで、助けるよりも助けられることのほうが多い人間ですが、本当は不登校の生徒さんを助けたかったのです。説教をするのではなく、ただ話を聞きたかったです。SNSを通してですが、不登校の生徒さんと今まで2人くらいと交流を持ちました。みなさん、おそらく人生の裏側を見ておられるので、とても心のきれいな人たちでした。もちろん、いろいろな不登校の生徒さんがおられるとは思いますが、「学校に行かねばならない」「仕事に行かねばならない」というのは「世の掟」です(神の掟はそんなに難しくないといいます。「神を愛するとは、神の掟を守ることです。神の掟は難しいものではありません」新約聖書 ヨハネの手紙一5章3節=新共同訳)。

 私も今は不登校ならぬ「不通勤」で、それでも人を助けたい気持ちはあるのに、逆に励まされたりしています。やっぱり、助けてもらわないと生きてはいけないです。世の中は厳しいけれど、友だちがたくさんいたらどうにかなるのではないでしょうか。根拠はないけど、たくさんの善意に囲まれて、今はそう思えます。不登校といわれている生徒さんにも、私はそのように伝えたいです。

腹ぺこ 発達障害の当事者。偶然に偶然が重なってプロテスタント教会で洗礼を受ける。東京大学大学院博士課程単位取得退学。クラシック音楽オタク。好きな言葉は「見ないで信じる者は幸いである」。

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