できることを言われても困ります 【発達障害クリスチャンのつぶやき】

 5年前、私に初めて発達障害の診断がくだったときの話です。報告を聞いた両親の第一声は何だったか。父の第一声は、「お前は学生時代の学生寮のカギを1回もなくしたことがないじゃないか!」でした。

 私は9年半、同じ学生寮に住みました。たしかに、その学生寮のカギは一度もなくしたことがありません。しかし、「できる(できた)ことを言われても困る」のです。「困る」という表現がおかしかったら、なんて言えばいいのでしょうね。ちなみに、いまのマンションに住んで11年以上になりますが、カギは2、3回なくしています。いずれも後日、出てきましたが……。運転免許証も1回なくして再発行してもらっています。こちらも後に出てきたので、すぐに交番に返却に行きました。

 それから、やはり時々言われるのが、私がフルートを演奏できることです。あれは、楽譜を見ながら、指を動かし、息を吹き込んでいます。同時にいくつものことをしています。「きみは同時にいくつものことができないんじゃなかったっけ?」と言われます。純粋に、不思議に思われるみたいですね。しかし「できることを言われても困ります」。なぜか、私はフルートを吹くことができるのです。

 それから、これも非常に不思議なことですが、1年間くらい事務をやったとき、なぜか私は、電話に出るのが速かったようです。仕事をしていても、電話がなったら、パッと出られるのです。同時にいくつものことができない私としては、これは不思議としか言いようのないことでした。「極端に苦手なことか、極端に得意なことか」という私の傾向からしても、これは、むしろ「得意」と言ってもよいくらい、私は電話に出るのが速かったのです。ただし、内線を取るのは遅かった。何回も鳴っているのに気が付かない。これも「なぜだ?」と言われても「困ります」。私が障害者である(特に同時に複数のことをするのが苦手である)ことを知っている人はほとんどいませんでしたので、これを不思議がる人はいませんでしたけど。

 一度、精神の調子が狂ったときに、医師に、「電話だけやらせてもらうのはできそうなので、それを職場に提案するのはいかがでしょうか」と言って、医師は当然のように、電話に出るなどというのは、私が最も不得意なことだと認識していたので、「電話以外のことをする」ならわかるとして「電話だけやる」は考えられないと思ったらしく、医師には「あなた特有の、おかしなひらめき」と言われてしまいました。以来、「おかしなひらめき」は私のキーワードの一つになってしまいましたが、私としては不本意です。なぜなら私は電話に出るのは得意だから! これも、医師でも「おかしなひらめき」と言うくらい、信じられない、説明不能なことです。

 とにかく、人間の能力というものは、不思議としか言いようのないもので、学生寮のカギを一度もなくさなかったこと、フルートは吹けること、電話(外線だけ)に出るのは得意であったことなど、すべて自分でも説明がつきません。それで、「運転はマルチタスクだからできません」などと言っていると、「ご都合主義」に見えるみたいです。本当にやっかいな障害ですね。できるだけ、自分で自分の障害を説明できるように、日々、努力しているのですが、この「できることを言われても困ります」というのは、なかなか納得してもらいにくい現象です。

腹ぺこ 発達障害の当事者。偶然に偶然が重なってプロテスタント教会で洗礼を受ける。東京大学大学院博士課程単位取得退学。クラシック音楽オタク。好きな言葉は「見ないで信じる者は幸いである」。

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