フェミニストとカトリック信者は両立できる? 「かつてないほど難しい」と女性神学者

ポスト#MeToo、#ChurchTooの世界で、カトリックのフェミニストたちは、カトリック信徒として教会に留まる理由を見つけるのに苦慮している。

女性たちがカトリック教会を去る割合は驚くべきもので、その多くは「和解しがたい不和」を理由にしている。あらゆる機関のあらゆるレベルで性差別と性虐待の現実に目覚めた世界において、フェミニストの要求に適応し関与する教会の遅れは、その足場を弱め、完全に信仰を離れる女性もいる。「レリジョン・ニュース・サービス」が報じた。

神学者ジュリー・ハンロン・ルビオ氏は、最新刊『カトリック信徒でありながらフェミニストでいられるのか』の中で、1970年代には多くのカトリック・フェミニストが二つのアイデンティティを共存させる方法を模索していたが、現在ではかなり難しいと論じている。

「2017年に始まった #MeToo 運動と #ChurchToo 運動は、深い問題を提起するために一緒になりました。カトリックの女性たちが、司祭、司教、バチカンの罪と、虐待を可能にした階層構造の欠陥に直面したのは初めてのことではない。ある者はミサに行くのをやめ、献金かごにお金を入れるのをやめた」とルビオ氏は著書の中で記す。

「突然、カトリックでなくなる可能性が現実味を帯びてきた。『なぜここに留まるのか』という問いに対する以前は納得がいった答えは、このようなひどい失敗を前にしては、もはや十分とは感じられなかった」

本書の九つの章はそれぞれ、「人間の尊厳」「性」「仕事」「結婚」「人生」「ジェンダー」「権力」「祈り」「所属」といったトピックを取り上げている。それぞれのトピックは、カトリックとフェミニストの両方の視点から分析され、相乗効果の機会だけでなく、緊張のポイントも追求されている。

私たちの共通の人間性、セクシュアリティにおける各個人の尊厳、仕事を通しての個人の繁栄と家庭へのコミットメントとのバランスをとることの重要性を理解することに関して、カトリックとフェミニストは共通の土台を見出すことができるとその神学者は言う。

しかし、中絶や教会における女性のリーダーシップの欠如に関する問題は、教会にとどまりたいと願うフェミニストにとって、依然として最も大きな問題である、と本書は論じている。意外なことに、祈りに関する章は、フェミニズムとカトリックの間の最大の緊張点を浮き彫りにしている。

「私は教会に座り、私たちはその空間には多くの知識があることを知っていますが、女性は男性の言葉を読んでいるのでない限り沈黙しています。女性は祈りの中で会衆をリードする機会がなく、それは本当に私たち(女性信徒)を悩ませるはずなのです」とルビオ氏は「レリジョン・ニュース・サービス」のインタビューに語った。

「必ずしも人々が感じているような緊張感でなくても、何か問題があるのです」と彼女は付け加えた。

ルビオ氏は、教皇フランシスコが教会における女性の目に見える存在感と影響力を促進するために行ってきた活動を認めている。フランシスコは女性に対する暴力を強く非難するだけでなく、バチカンの各部門のトップに多くの女性を任命した。彼は、あらゆるレベル、あらゆる国のカトリック信者の大規模な協議から生まれた「シノダリティ」(耳を傾ける教会)をテーマとするシノドスを呼びかけ、その結果、サミットでは初めて女性の参加だけでなく投票権も認められた。

それでも著者は、シノドスに積極的に参加するよう求められた女性神学者の数が少なかったことを嘆いた。「最後には司教たちが部屋に入り、決定を下すことになるのです」。バチカンは最近、10月に予定されている第2回シノドス会議は、教会をよりシノダルらしくする方法に焦点を当て、女性のリーダーシップの問題を含む論争の的となる問題を2025年の夏に押し進めると発表した。

カトリック教会は、女性の役割に関して常に歴史の正しい側にいたわけではなく、当初は女性の参政権や、女性が家庭の外で働くことを推進することに反対していた、とルビオは本の中で述べている。それ以来、教会における女性の地位向上のために多くのステップが踏まれてきたが、まだ多くの課題が残されている。

フェミニズムがジェンダー、性差別、人種差別、多様性に関する今日の言説に取り組むようになった一方で、教会は「よりゆっくりと動き、社会的な会話と対立している」とルビオ氏は言う。多くの欧米諸国では、教会が強く非難する中絶について、女性が妥協する可能性は低い。

ルビオ氏によれば、女性たちは影響力を行使するための型にはまらない空間を見出しているという。「小教区では変化が起きており、女性に指導力を与えるさまざまな方法を見出しています」。バチカンが女性を聖職者にする代替案を見つけるための研究会を立ち上げて時間を稼ぐ一方で、カトリックの若い女性たちは、インスタグラムやティックトックのような、規制のない新しい説教の場を模索している。

「彼女たちはそれを説教とは言わないかもしれないが、私ならそう呼びます。それはルールに違反しているわけではなく、教会の違うやり方なのです。10万人のフォロワーがいれば、教会でパワーや影響力がないとは言えないでしょう」

現代の女性たちは、自分たちが活躍できる社会を目の当たりにしており、教会における女性のリーダーシップの欠如をより際立たせ、離れていく可能性を高めていると彼女は言う。それでもルビオ氏によれば、カトリックでありながらフェミニストであることは可能である。

「カトリシズムとフェミニズムを一緒にすると、本当に豊かなものが得られます。特に彼女たちの堅固な信仰と持ち前の人間の尊厳と組み合わせると」とルビオ氏。「これらのものを一緒にする時、それは私にとってカトリック教会に留まることに賛成するに値するのです」

ルビオ氏の新刊『Can You Be a Catholic and a Feminist?』は、オックスフォード大学出版局から3月29日に出版される。

(翻訳協力=中山信之)

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