性差別を下支えする聖書の読み方問う 研修会で渡邊さゆり氏が講演

日本基督教団大阪教区(尾島信之総会議長)教師委員会、性差別問題小委員会は11月23日、大阪クリスチャンセンター(大阪市中央区)で秋の修養会を開催し、渡邊さゆり氏(マイノリティ宣教センター共同主事、日本バプテスト同盟駒込平和教会牧師)が「聖書の話をしよう――性差別を支えてしまう聖書の読み方を問う」と題して講演した。

渡邊氏は冒頭、「教会は聖書に基づいており、社会のルールとは異なる」という声について、「社会の影響をまったく受けない教会はない」とし、「日本にある教会として、常に日本社会の現状を考えるのは使命」と前置きした。

1985年に日本が批准した「女性差別撤廃条約」によれば、女性差別とは「性にもとづく差別、排除または制限であって、政治的・社会的・文化的・市民的、その他あらゆる分野においても、女性が男女の平等を基礎とした人権及び基本的自由を認識し、享有しまたは行使することを害し、または無効にする効果または目的を有するもの」と定義されている。

2000年の「男女共同参画社会基本法」以降、表向きの制度は整ったように見られ、「女性差別はすでに解消された」とする向きも一部にあるが、2022年のジェンダーギャップ指数(146カ国中116位、「先進国」では最下位)に表れている通り、差別は根強く温存されている。

講演では、それを下支えする聖書の読み方に気づくための手がかりが提示された。「生物学上の性差」を根拠に差別を肯定する意見について渡邊氏は、「男性脳」と「女性脳」について牧会学の講義で教える神学校がいまだにあるという事例もふまえ「神話、虚構にすぎない」と断じた。

「社会を『男女』に二分化する仕組みを聖書の読み方が支えてしまっている。人は一人ひとりが大切に創られたのであって、ざっくり『男女』に創られたのではない。女性は本当に〝産む性〟なのかを問い直すことから、教会の宣教を問い直してほしい」

また家制度、家父長制の「伝統」という日本の特異性を認識しなければ差別は解消できないとした上で、教会やキリスト教系団体の中で実際に使われ、差別を助長してきた言葉として「女牧師」「女教師」「女役員」「婦人会」「涙は女性の武器」「男まさり」「女々しい」「ママさん牧師」「ママさん園長」「女こども」「奥様」「ご主人様」などを列挙。

さらに、教会でも見られる性的冗談、からかい、性的描写のある絵画をあえて飾る、グループを作る時の「女性もいた方がいい」という提起、女性が給仕をする、愛餐会の準備は女性が中心、母子室、受付は女性、司会は男性、牧師招聘は男性優先、牧師給与は男性中心、シス男性異性愛者でない神学生が推薦されにくい、最後のお祈りは男性……などはすべてセクハラに該当すると指摘した。

続けて渡邊氏は、唯一絶対の「正しい解釈」があるかのように錯覚し、性差別を増幅してきた教えを克服するための批判的フェミニスト神学の聖書解釈について解説。「聖書は歴史的な書物だから」で片づけてしまうのではなく、聖書は女性たちへのハラスメントに満ちているという認識に立って、「新たな読みを開発していくプロセスが重要。最も脆弱な者にとって福音になっているか否かが問われる」と訴えた。

後半には女性が登場する聖書箇所を具体的に挙げながら、参加者とともに差別に加担しない聖書の読み方について理解を深めた。

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