いわゆる「牧師夫人」問題めぐり濱野道雄氏がオンラインで講演

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日本基督教団愛知西地区「性差別問題を考える委員会」主催の講演会が10月2日、会場の名古屋中央教会(名古屋市東区)およびオンライン上で開催された。日本バプテスト連盟理事会が2013年に発表した「いわゆる『牧師夫人』に関する見解」から学ぶことを主軸とし、その策定に携わった濱野道雄氏(西南学院大学教授)が講師を担った。

「私たちが名前ある一人として教会に連なるために」を副題に掲げた濱野氏は、「見解」が策定されるまでの過程を丁寧に回顧。発端は2006年、「『牧師夫人』という身分ないし職分の存在を肯定するのか」との質問が理事会宛に提出されたこと。

さかのぼれば1961年、宣教師モード・ドージャー氏による『伝道者の妻――選ばれて牧師夫人となられたかたがたへ』(ヨルダン社)には「(勉強会に参加した女性らに)将来立派な牧師夫人になろうという熱意」があったとの記述があり、1973年刊の大谷賢二著『伝道と牧会の実際』、79年刊の大谷賢二氏・大谷松枝氏共著『がんばれ!牧師夫人』には、妻は夫と召命を共有するが働きは異なり、婦人たちの指導者であり牧会者であると共に、裏方の働きを担う者で、家庭づくりこそ最大の働きという「牧師夫人」像が提示されていた。1980年代後半ごろの「少年少女大会」では、3日目夜のプログラム「決意の夕べ」で、牧師、宣教師などへの献身と並んで「牧師夫人」への献身決意も促されたという。

1990年代後半の連盟機関誌『バプテスト』に掲載された牧師就任・按手式の記事では、按手を受ける牧師(夫)に並んで女性(妻)がうつむく写真が掲載されている。ここにも、「立場は違うが夫婦はそろって献身者」という理解が反映していた。2008年、連盟理事会は書状の中で「バプテスト教会には『牧師夫人』という身分や職分はないこと、それゆえ例えば牧師の配偶者が女性の場合に、教会が本人の意思を無視して『牧師夫人』像を押しつけ、『牧師夫人』としての働きを求めることがあってはならないという基本的な認識を確認」したことを表明。「いわゆる『牧師夫人』に関する見解」が理事会で承認された2013年には、「牧師配偶者・女性献身者の負う重荷を放置してきたこと」「牧師の配偶者が『名前をもつ一人』として生き、教会に仕えることを妨げてきたこと」などについて公に悔い改めが為された。

濱野氏は、「必ずしもこの『見解』が、後の理事会や各教会で継承、周知されているわけではない」としながら、「教派を超えてこうした機会を通じ研さんを積むしかない。痛みを覚える人の声を聴くところから、教会は変わり始めるかもしれない」と期待を込めた。「見解」の全文は連盟のホームページ(https://bit.ly/3oz1hRD)から閲覧、ダウンロードできる。

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